『風と雲と雨』で終盤の重要人物となる王妃はどんな女性だったのか

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波乱万丈の歴史大作『風と雲と雨』も終盤になると、興宣君(フンソングン)の二男だった命福(ミョンボク)が即位して高宗(コジョン)となった。

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しかし、彼はまだ11歳だったので、興宣君が国王の父親を意味する大院君(テウォングン)として後見人となった。こうして、興宣大院君は絶大な権力を手に入れた。

彼は、息子の結婚を急がなくてはならなかった。つまり、王妃を早く決めるということだ。

しかし、これが難題だった。名門の娘を選ぶと、その実家が権力をつかむ恐れがあった。それゆえ、増長しない一家の娘が適任だった。

そうした狙いのもとで選ばれたのが、『風と雲と雨』でパク・ジョンヨンが演じていたミン・ジャヨンだった。彼女はドラマの中で、とても賢い娘だった。それは史実でも同じで、彼女は高宗の妻となってから明成(ミョンソン)皇后となった。

史実では、どのような女性なのだろうか。

『風と雲と雨』ではパク・ジョンヨンが王妃を演じている(写真提供=© 2020 TV Chosun)​​
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王妃の強烈な存在感

生まれたのは1851年だ。高宗より1歳上だ。

彼女が8歳のときに両親が亡くなり、孤独な生活を強いられた。しかし、頭脳明晰で、意志も強かった。

15歳のときに王妃に選ばれて明成皇后となった。

その当時、義父の興宣大院君が絶大な権力を維持していた。こういうとき、王妃は政治に関与しないのが普通なのだが、明成皇后はそうではなかった。彼女は、積極的に王室政治に口を出すようになった。そうなると、興宣大院君と対立してしまうのも仕方がない。

しかし、明成皇后はひるまなかった。彼女は用意周到に興宣大院君の反対勢力たちと結託し、最後には、あれほど権力を誇った興宣大院君を失脚させることに成功した。それは、1873年のことだ。

明成皇后はその後も長く朝鮮王朝末期の政治を仕切っていった。

本当に恐ろしい女性だ。『風と雲と雨』では童顔のパク・ジョンヨンが演じているので、それほど怖い雰囲気がないが、意外と人は見かけによらないものだ。結局、ドラマでも強い意志で興宣大院君に逆らう場面は何度も出てくる。

このように、『風と雲と雨』の終盤では、王妃の強烈な存在感から絶対に目を離せないのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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