『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じたイ・ヨンの実在した母親は誰?

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パク・ボゴムが主演して大ヒットした『雲が描いた月明り』。この時代劇でパク・ボゴムが扮した世子のイ・ヨンは、史実では孝明世子(ヒョミョンセジャ)のことだ。

【写真】『雲が描いた月明り』で世子に扮したパク・ボゴムのカッコよさ

ドラマの中では、イ・ヨンの生母が亡くなっていたことになっていた。そして、父の純祖(スンジョ)は新しい王妃を迎えていた。

しかし、史実はまるで違った。純祖が再婚したことはなく、ずっと王妃は純元(スヌォン)王后だった。そして、2人の間に生まれた長男が1809年に生まれた長男の孝明世子なのである。

『雲が描いた月明り』では死んだことにされてしまった純元王后。どういう女性だったのだろうか。

生まれたのは1789年だ。純祖は1800年に10歳で即位したが、純元王后もほぼ同時期に王妃になっている。

彼女の父親は金祖淳(キム・ジョスン)で、名門の安東(アンドン)・金氏の一族の重鎮だった。結果的に、純元王后は実家に権力を誘導して安東・金氏に要職を独占させた。それほどやり手の女性だった。

確かに、安東・金氏に反抗する勢力もいたが、純元王后は純祖が弱い性格だったことを悪用して、自分たちの一族に都合がいいように法律と制度を変更させた。

『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じたイ・ヨンの母親が純元王后だった(写真=KBS『雲が描いた月明り』ポスター)

他の「怪物」は要らない

このように絶大な権勢をふるった純元王后だったが、愛する孝明世子が21歳で1830年に亡くなったことは衝撃だった。純元王后は運命を悲観することしかできなかった。

しかし、立ち直った純元王后はいっそう安東・金氏の権力を強化した。1834年に純祖が44歳で世を去ると、孝明世子の息子を24代王・憲宗(ホンジョン)として即位させた。わずか7歳。何も決められないので、すべて純元王后が仕切った。

結局、1857年に68歳で亡くなるまで、純元王后は朝鮮王朝の政治を女帝として牛耳った。弊害があまりに多かった。まさに、悪い意味での「怪物」だった。

こういう女性を『雲が描いた月明り』ではなぜ死んだことにして登場させなかったのか。パク・ボゴムが演じたイ・ヨンの存在感を際立たせるために、制作陣はあえて他の「怪物」は要らないと考えたのかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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