【深発見43】光州事件の風化を許さないモミュメントと前夜祭

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韓国の民主化によって、かつては暴徒とされた光州(クァンジュ)市民の人たちの名誉回復も図られ、犠牲者の墓地も聖域化され、1997年には、望月洞(マンウォルドン)の墓地の隣の敷地に、モニュメントや資料館のある記念公園が誕生した。

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記念公園の墓地も墓石には、遺族が様々な思いを書き込んでいる。

「悲しい時代の現実に屈しなかったあなたの死は、この地の自由と民主の根になりました」「お父さん、どうか安らかに眠ってください。2歳と8歳だった私たち兄弟は、もう成人になりました。後のことは私たちがやります。どうか安らかに眠ってください」

2000年当時の記念公園(著者撮影)

何年が経とうとも、遺族の心の中で、光州事件は決して風化することはない。

毎年5月18日になると、地元の高校生や韓国各地の大学生が慰霊に訪れる。献花をして、黙祷を捧げ、案内の人の説明を聞く。こうして光州事件は若い世代にも、語り継がれている。

2000)年の光州事件の日、私は記念公園や望月洞の墓地に行き、厳粛な気持ちになって市の中心部に向かうバスに乗り込むと、何やら、運転手と客がケンカしている。

「何だ、その言い草は」などと客から散々罵られ、運転手は「クソー」と床を蹴りながら地団太を踏む。厳粛な気持ちは、一気に吹き飛んだ。

近年、客による運転手に対する暴行事件が横行しているので、あまりシャレにはならないが、それでもバスの中であっても、互いの感情をぶつけ合うのは、韓国らしいと言えば、韓国らしい。

市の中心部など光州の至る所に、記念のモニュメントが立ち、この場所で何があったのかを表示している。光州の街の景色は、事件当時とは変わりつつあるが、1980年5月に、この街で何があったか、ようやく認識することができるようになった。

光州事件の中心となった場所は、旧全羅南道庁前の錦南路(クムナムノ)である。

軍の部隊による無差別発砲により、多くの市民が犠牲になるとともに、全羅南道庁に籠城した武装した市民軍は、軍の総攻撃の前に、砕け散った。

かつて多くの光州市民の血が流れた錦南路では、毎年5月17日に前夜祭が行われている。特設ステージの上では、事件を再現した劇などが行われるが、ステージの周りでも、事件を再現する様々なパフォーマンスが繰り広げられる。

新軍部の中心人物である全斗煥の上半身をかたどった御輿が登場すると、一斉に罵声が飛んだ。全斗煥や側近の盧泰愚に対する憎悪は、根強いものがある。

文・写真=大島 裕史

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