【悲劇の世子3人】次代の国王でありながら無惨に殺された世子とは誰なのか

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朝鮮王朝において世子(セジャ)は国王の正式な後継者だ。無事であれば、かならず国王になれる人だった。しかし、無惨に殺されて国王になれなかった世子が3人いる。そんな悲劇的な人たちを取り上げてみよう。

最初は李芳碵(イ・バンソク)である。

初代王になった李成桂(イ・ソンゲ)の八男だった。上に兄がたくさんいたのに聡明であったために、10歳で世子に指名された。しかし、異母兄で李成桂の五男であった李芳遠(イ・バンウォン)が黙っていなかった。

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彼は1398年にクーデターを起こして李芳碵を殺してしまった。哀れな李芳碵は朝鮮王朝で初代の世子になりながら、結局は国王になれずに命を断たれた。代わって李芳遠が権力を握って3代王の太宗(テジョン)になっている。

(写真=映画『王の運命』韓国ポスター)

将来を断たれた3人の世子

悲劇の世子の2人目は昭顕(ソヒョン)世子だ。

彼は16代王・仁祖(インジョ)の長男で、1637年に朝鮮王朝が清の侵攻に敗れたときに人質として清に連れて行かれた。

そして、8年後にようやく帰国できたのだが、なんと2か月後に急死してしまった。果たして、突然の死の原因は何だったのか。

実は、人質生活の中で清に感化された息子を疎ましく思った仁祖が、息子を毒殺したと言われている。それが証拠に、仁祖は昭顕世子の葬儀を冷遇し、一家を滅ぼしている。そういう意味でも仁祖は本当に冷酷な父親だった。

最後に取り上げるのは思悼(サド)世子だ。

彼は21代王・英祖(ヨンジョ)の息子として生まれ、幼少のときは頭がとても良くて天才と呼ばれた。しかし、成人すると素行が極端に悪くなった。酒癖が悪く、家臣に暴力をふるった。さらに、怪しい人たちと遊興にふけった。

激怒した英祖は思悼世子に自決を命じた。それでも思悼世子が従わなかったので、米びつに閉じ込めて餓死させた。この事件は「朝鮮王朝最大の悲劇」とも称される。

以上のように、数多い世子の中で3人が殺されている。本来、彼らには輝かしい未来があったはずなのに、兄あるいは父によって将来を断たれてしまった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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