【王の悲劇】名作に登場の王様がまったく業績を残せなかった理由

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韓国時代劇で描かれることがほとんどない18代王・顕宗(ヒョンジョン)。その彼が、唯一登場したのが2012年から2013年にかけて韓国で放送され、2021年には5月24日から8月2日までテレビ東京の韓流プレミアで放送されていた『馬医』だ。

主人公のペク・クァンヒョンを俳優のチョ・スンウが演じたこの時代劇で、顕宗に扮していたのは俳優のハン・サンジンである。

その顕宗はいったいどんな王だったのだろうか。彼の歴史をたどってみよう。

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1641年に17代王・孝宗(ヒョジョン)と仁宣(インソン)大妃の息子として生まれた顕宗。その後、彼は孝宗が亡くなった1659年に18代王として即位する。

最初は、父親である孝宗の意思を継いで清に対抗する予定だった顕宗だが、王妃の服喪機関に起こった党争の影響で、断念せざるを得なくなってしまう。

『馬医』で顕宗を演じたハン・サンジン

派閥争いに悩まされた

清の打倒を諦めた顕宗は、庶民の生活を圧迫していた軍事力の強化も中断させたことによって、朝鮮王朝に平和な時代が訪れたかのように思えた。

しかし、宮中で権力欲にかられた臣下たちの派閥争いが起こってしまう。

争っていたのは、クーデターで光海君(クァンヘグン)を追放して主導権を取っていた西人派(ソインパ)と、対抗勢力として力をつけていった南人派(ナミンパ)である。

2つの派閥は、大規模な葬儀の実地方法や服喪期間など、儒教を国教とする朝鮮王朝の学説について論争を繰り広げた。

それを見て怒った顕宗は、関係する高官たちを何度も厳しく処罰するも論争は治まらずに国政がおろそかになってしまった。

しかし、その争いの最中に異民族の侵攻などが起きなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。

以上のように、政権内での派閥争いに悩まされた顕宗は、1674年に33歳で世を去った。15年も王として在位していたにも関わらず、これといった業績がなく存在感が感じられない。

そのため、顕宗は父親の孝宗と同様に韓国時代劇で題材として扱われることがほとんどないのかもしれない。もし、孝宗と顕宗は王としてしっかりと業績を残せていたら、朝鮮王朝の歴史はどうなっていただろうか。

文=大地 康

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