恵慶宮(ヘギョングン)は22代王・正祖(チョンジョ)の母であり、米びつに閉じ込められて餓死した思悼世子(サドセジャ)の妻であった。
というより、むしろ韓国時代劇が好きな人には女優のキョン・ミリの顔を思い浮かべたほうがわかりやすいかもしれない。なぜなら、キョン・ミリが『イ・サン』で恵慶宮を印象的に演じていたからだ。
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この名作時代劇に出てきた恵慶宮は、夫が米びつに閉じ込められているのに、あえて助命のための活動をしなかった。そのことを息子のサンに問い詰められた恵慶宮は、それでも夫に冷たかった。このように、『イ・サン』でキョン・ミリが扮した恵慶宮は、死にゆく思悼世子を見捨てるような態度だった。
これは、史実に近い描き方だ。というのは、餓死事件が起きた当時(1762年)は思悼世子と恵慶宮は夫婦仲が極端に悪くなっていたのだ。実際、恵慶宮が晩年に随想録を書いたときも、彼女は夫のことを辛辣に批判していた。
指摘したのは以下のことだ。
・酒癖があまりに悪かった
・家臣によく暴力をふるった
・側室を殺してしまった
・精神が錯乱状態になることが多かった
このように思悼世子の悪態をたくさん挙げて、恵慶宮は夫に問題行動があまりに多かったと暴露していた。
その一方で、恵慶宮は実家の洪(ホン)一族のことは徹底的に擁護した。
実は、洪一族と思悼世子は政治的な信条をめぐって対立することが多く、恵慶宮の父であった洪鳳漢(ホン・ボンハン)と叔父の洪麟漢(ホン・イナン)は、思悼世子の将来的な即位を阻もうとする動きを盛んに見せていた。
この事実は、正祖が1776年に即位したときに大問題になった。結局、洪鳳漢は高官の身分を剥奪され、洪麟漢は死罪となってしまった。
こうして洪一族は没落したのだが、それに最後まで抵抗したのが恵慶宮だった。
それだけではない。恵慶宮は随想録の中で「父と叔父はまったく悪くない」ということを強調して、実家の名誉をずっと守ろうとしていた。
そんな恵慶宮は1815年に80歳で世を去った。息子の正祖が亡くなったのは、それより15年も前であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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