キョン・ミリといえば、『宮廷女官 チャングムの誓い』で主人公のチャングムを徹底的にいじめる悪役で、時代劇のファンに強烈な印象を残している。彼女は『イ・サン』でも重要な役を演じている。
それは、思悼世子(サドセジャ)の妻であった恵慶宮(ヘギョングン)であり、キョン・ミリは『イ・サン』でも癖のあるキャラクターに扮していた。それだけに、恵慶宮という人物のことが気になる人も多いだろう。彼女の人生を振り返ってみよう。
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恵慶宮は、21代王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子の妻であったので、将来の王妃が約束された身分だった。
思悼世子は頭脳明晰で若くして英祖の政治を代行したのだが、その過程で利害がぶつかったのが老論(ノロン)派だった。思悼世子を排除したい老論派は、思悼世子の素行を悪く英祖に伝えた。
さらに、思悼世子には敵がいた。それは、妻の恵慶宮の実家だ。具体的には、妻の父親の洪鳳漢(ホン・ボンハン)と叔父の洪麟漢(ホン・イナン)である。特に洪麟漢は露骨に思悼世子を陰謀に巻き込もうとした。
結局、思悼世子は陰謀にはめられて、英祖によって米びつに閉じ込められて餓死した。このとき、妻の恵慶宮はどうしていたのか。
自分の父親と叔父が加担していることをどのくらい把握していたのか。
結局、彼女は何もできなかった。そればかりか、自分の夫が罪人として餓死したあおりで、世子の妻としての身分を剥奪されて実家に帰されてしまった。
1776年、恵慶宮の息子の正祖(チョンジョ/ドラマ『イ・サン』の主人公)が即位したとき、彼は自分の父親を陥れた連中を根こそぎ粛清した。
その粛清の嵐は恵慶宮の実家にも及んだ。洪麟漢は死罪となり、洪鳳漢は高官の身分を剥奪された。恵慶宮の実家は完全に没落したのだ。
王の母となった恵慶宮が妙なのは、自分の夫が策略で亡くなっているにもかかわらず、徹底的に自分の実家を守ろうとしたことだ。彼女は晩年に完成させた随想録の中で、「自分の夫は精神的に異常で奇行が多かった」「父や叔父は悪くない」ということを徹底的に書いている。
実家を守るためとはいえ、不遇の最期を遂げた夫に対して辛辣だった。彼女は後半生を実家の名誉を守るために捧げたのである。
恵慶宮は、息子の正祖が1800年に48歳で亡くなったあとも長生きし、1815年に80歳で亡くなった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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