タクシーの運転手が最初に行こうとした王陵寺だが、ここでも1993年に、歴史的な発掘があった。
王陵寺は、一般的に陵寺または陵山里寺(ヌンサルリサ)と呼ばれている。
聖王をはじめとして、扶余時代の百済の王や王族の墓である陵山里古墳群がその隣にある。芝生が植えられたなだらかな斜面に7基の円墳が並ぶこの古墳群の中には、高句麗の壁画古墳やキトラ古墳などで知られる玄武、朱雀、青龍、白虎の四神が描かれているものもある。
また古墳群のある場所が、風水地理的に優れたいわゆる明堂(ミョンダン)の地であることから、百済においても、風水地理が重視されていたことが分かる。
風水地理を信じるかどうかは別として、風水地理的に優れていると言われている所は、山の空気が集まりやすい所であり、歩いていると、身が引き締まる。
そしてこの古墳群に隣接する陵寺は、567年に聖王の偉業を称えるために建てられたものだ。王たちの墓の近くに寺院を建てるところにも、百済で仏教がいかに大切にされているかが分かる。
この寺址は長く田畑であったが、1992年に韓国政府が買い上げ、発掘調査が始まった。その翌年の12月、寺址から高さ62センチの、非常に精巧な金銅製の香炉が見つかった。
この香炉、上は鳳凰、台座は龍、卵型の胴体には、象、馬、猿などの動物や仙人などが表情豊かに彫られている。
これは理想郷である蓬莱山などを描いたもので、発掘当初は「金銅龍鳳凰蓬莱山香炉」と呼ばれ、後に「百済金銅大香炉」と呼ばれるようになった。
この香炉は今、国立扶余博物館が所蔵している。博物館の入り口には、「百済金銅大香炉」の巨大なモニュメントが立っている。
この博物館は、元は扶蘇山のそばにあったが、93年に街の南側に移転している。中に入ってしばらく歩くと、特別な展示スペースにこの香炉があった。
私はこの香炉を見るのは2回目である。発掘された時、私はソウルに留学していた。発掘の翌年、当時は旧朝鮮総督府の建物を使っていた国立中央博物館で、特別展が開催された。
会場に行った私は、1400年余り土の中に埋まっていたとは思えない生き生きとした躍動感に、思わず感嘆のため息をついたのを覚えている。
その後この香炉は、百済芸術の最高傑作であり、扶余のシンボル的存在となっており、気のせいか、貫禄すら感じられた。
この香炉に限らず、博物館に展示されている百済の工芸品は、非常にきめ細かい。それは新羅、高句麗など朝鮮半島の他の国と比べても群を抜いている。日本人の細かさも、百済の影響が少なからずあるのではないか。
文・写真=大島 裕史
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