【深発見14】ソウル観光リピーターに人気の山城のヒミツ

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三田渡碑の南東側の、さほど遠くない所に、仁祖が清に抵抗して籠った南漢山城がある。

ソウルからさほど遠くないにもかかわらず、自然が豊かで、史跡が多く、眺望も良い南漢山城は、ソウル観光のリピーターにお勧めのスポットである。

最初に築いたのは、百済(ペクチェ)とも、新羅(シルラ)とも言われているが、南漢山城は、その両者にとって、重要な位置にあるのは間違いない。

ソウルの今の蚕室(チャムシル)付近を都城としていた初期の百済にとって、彼らの南側で勢力を伸ばす新羅を監視するのに、南漢山城は重要であった。

南漢山城の守護台

一方、三国を統一した新羅にとっては、唐の動静を監視する意味で、重要であった。実際<)近年は漢山城において、統一新羅時代の大きな建物の跡が、発掘されている。

もっとも、南漢山城の重要性に最も注目したのは、光海君(クァンヘグン)であった。

豊臣秀吉の朝鮮出兵、それに続く後金の圧迫を受けた光海君は、南漢山城をソウル防衛の拠点であり、万一の時の避難場所として、大々的に拡充工事を行った。

【関連】傑作『王になった男』のモデルになった光海君の人生とは?

そして光海君の後、王位に就いた仁祖(インジョ)の時に、丙子胡乱が起き、南漢山城は韓国史にその名を残すこととなった。

文・写真=大島 裕史

大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。

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