1455年、即位してから3年目だった14歳の6代王・端宗(タンジョン)は、野望が強すぎる叔父に恫喝され続けて、結局は王位を譲らなくてはならなくなった。叔父は端宗の側近たちを強引に排除し、自分たちの取り巻きが官僚たちを支配するようになっていたのだ。
こうして叔父は甥に代わって王座についた。それが7代王になった世祖(セジョ)である。
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こうした世祖のやり方に反旗を翻した骨のある官僚もいた。中心になったのが成三問(ソン・サムムン)であった。
彼と同志たちは1456年6月に世祖の暗殺を狙った。しかし、失敗してしまい、成三問は同志たちと一緒に捕らえられた。
世祖は、この暗殺事件に震撼し、拷問の場で捕らえた人たちを自ら尋問をした。
すると、成三問は世祖の前で堂々と言い放った。
「これは謀反ではない。本来の我が王が廃位されたので、我慢ができなかったのだ」
すると、世祖は激怒し、拷問がさらに激しくなった。
成三問は、火で焼いた鉄を足に突き刺されてしまったが、顔色を変えず、「鉄を焼き直して来い!」と言い切った。
恐ろしい精神力だ。さすがの世祖も成三問の迫力に驚いたことだろう。
成三問のまわりには、かつての同僚たちもいた。そういう者に向かって成三問は、最後の言葉を残した。
「諸君は泰平の世を作ってくれ」
こうして成三問は、決して見苦しい姿を見せることがなかった。
結局、成三問は処刑されてしまい、家族も連座制で厳しい処罰を受けた。一族の男性は死罪になったし、女性は最下層の身分にされた。
ここまで悲劇を抱えてしまった成三問だが、彼の志は後の世になって大いに讃えられた。
一方の世祖だが、晩年に息子2人が10代で亡くなって慟哭の日々を過ごした。しかも、歴史上でも、甥から王座を奪ったので評判がすこぶる悪い。
人間の運命とは本当にわからないものだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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