【深発見5】朝鮮戦争の戦況を変えた英雄から分断の元凶扱いされた男

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韓国関係の著書が多い作家の大島裕史。数年にわたり、韓国全土を取材した日々をもとに、日本人が知らない韓国の本当の姿、歴史がたっぷりと描かれた新連載『韓国深発見』。今回は仁川の自由公園にあるマッカーサー元帥の銅像について。

かつては多くの外国人が集ったであろう仁川(インチョン)の自由公園において、今日一番目立っているのは、公園の中央部に立つマッカーサー元帥の銅像である。

仁川の名を世界に広めたのは、マッカーサー元帥率いるアメリカを中心とした国連軍が行った仁川上陸作戦である。

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1950年6月25日に北朝鮮人民軍の攻撃で始まった朝鮮戦争は、人民軍の一方的な攻勢によって首都ソウルは3日で陥落し、一時は南東部の一部を除いて、朝鮮半島のほぼ全域が人民軍の支配下に置かれた。

その流れを一気に変えたのが、9月15日の仁川上陸作戦であった。そして9月28日にはソウルの奪還に成功している。

そのため、マッカーサーは韓国においては救国の英雄として尊敬され、銅像まで建てられた。

自由公園にあるマッカーサー元帥の銅像(写真=大島 裕史)

しかし、歴史の評価は常に変化する。

1998年、進歩派に位置づけられている金大中(キム・デジュン)が大統領に就任し、その後を進歩派の盧武鉉(ノ・ムヒョン)が受け継ぐと、歴史の見直しが進められた。その過程で、朝鮮戦争中に米軍が韓国の住民に行った虐殺事件などが明るみになった。

その結果、マッカーサーこそは祖国分断の元凶であるという声が出始め、自由公園のマッカーサー像の撤去運動に発展した。今は静かだが、つい10年ほど前には銅像の前で、実力行使で撤去しようという人たちと警察が、激しく対峙したこともあった。

文・写真=大島 裕史

大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。

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