NHKの総合テレビで放送されている『ヘチ 王座への道』は、5月23日に放送の第15話によって、謀反を疑われたヨニングン(延礽君)の正当性が証明されていく。こうした展開の中で、苦悩を抱えたのが国王の景宗(キョンジョン)であった。
彼は世弟(セジェ)の裏切りを疑ったことを恥じるようになった。さらに、父親の粛宗(スクチョン)が自分でなくヨニングンに王位を譲りたいと願っていたことを思い出していた。
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それは、景宗として、父王がヨニングンの才能を認めていたことを意味しているわけで、彼もその考え方を無視できないことを痛感していく。
ドラマはこのように展開していくのだが、史実ではどうだったのだろうか。
果たして、景宗は世弟の才能をどの程度認めていたのだろうか。
はっきりしているのは、1720年に即位した景宗が息子のいない自分の後継者としてヨニングンをとても大事にしていたという事実だ。それゆえ、ヨニングンを支持する老論派が謀反騒動を起こして壊滅的な打撃を受けたときも、景宗はヨニングンをかばっている。
景宗を史実する少論派がヨニングンの世弟失格を痛烈に主張したときも、景宗はそれに対して同調せず、むしろヨニングンを守っていたのだ。
結局、こうした景宗の特別なはからいがあったから、ヨニングンは世弟の立場を守ることができたし、次の王位に就く可能性を残すことができたのであった。
そういう意味でも、景宗は弟思いの国王であったと言える。
歴史上でよく知られているように、景宗の母の張嬉嬪(チャン・ヒビン)とヨニングンの母の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は犬猿の仲であった。そんな関係だったので景宗とヨニングンも仲が悪い異母兄弟になっても不思議はなかったのに、二人はことのほか親密に育っている。
特に、景宗は優しい兄であった。
そういう兄弟関係が大人になっても生きていて、結局は景宗が最後まで弟に優しい眼差しを向けていった。
そうした史実の出来事が、ドラマの『ヘチ 王座への道』にも十分に反映されている。そうした兄弟関係に注目して見ていくのも、このドラマの楽しみの一つだ。
文=康 煕奉(カン・ヒボン)
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