『ヘチ 王座への道』は、後半に入っても、密豊君(ミルプングン)の悪事がおさまらない。というより、さらに悪の本性をさらけだしている。
そんな最悪の王族の罠にはまり、チョン・イルが演じるヨニングンは窮地に陥っていった。謀反の首謀者にさせられたり、王位を奪おうとしているかのように誤解されたり。そうした密豊君の策略によって、ヨニングンは世弟(セジェ/王の後継者となる弟)の資格まで剥奪されようとしてしまう。
そんな密豊君は、「本来なら朝鮮王朝は自分のものだった」という強い自負を持っていた。それゆえに、王位に異常に執着していたのだが、この自負はあながち間違いではなかった。
そこには、どんな歴史的な経緯があったのか。
実は、密豊君は昭顕(ソヒョン)世子のひ孫である。この昭顕世子は清の人質になって8年間軟禁された後、1645年に朝鮮王朝に戻ってきたが2カ月で急死してしまった。昭顕世子を嫌っていた父親の仁祖(インジョ)が息子を毒殺した可能性が高かった。
しかも、昭顕世子の妻も仁祖によって死罪にされてしまったが、一家にはさらなる不幸が待っていた。
昭顕世子には3人の息子がいたが、済州島(チェジュド)に流されたあと、長男と二男は不可解な死を遂げている。そして、三男だけが生き残り、その三男の孫が密豊君なのである。
本来、朝鮮王朝の王位継承の順番で言うと、昭顕世子が死んだ場合は、彼の子供に王位継承の権利がある。そして、昭顕世子の長男と二男が死んでいるなら三男が王位を受け継ぐべきだった。それが実行されていれば、密豊君が王位に就く可能性もあったわけだ。
しかし、仁祖は王位継承の原則を無視して、自分の二男(昭顕世子の弟)に王位を譲ってしまった。
こうして、本来の王位継承権を奪われた昭顕世子の三男とその孫の密豊君は不遇をかこってしまったのだ。とはいえ、それが密豊君の悪事の言い訳にはならない。彼は根っからの悪人であり、王族として恥ずべき人物である。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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