NHKの総合テレビで毎週日曜日に放送されている『ヘチ 王座への道』が5月9日で第13話となる。いよいよ後半に入ったのだ。
この第13話では、世弟(セジェ/王の正式な後継者となる弟)となっているヨニングン(延礽君)について、「摂政にふさわしいのではないか」という声が起こってくる。この動きに20代王の景宗(キョンジョン)があからさまに不快感を持つ。それはそうだろう。国王を譲ったほうがいい、という話になってしまうのだから。
景宗としては苛立つのも無理はなかった。
【関連】『ヘチ』の転換点か。世弟=セジェはなぜ国の現実を嘆くのか
ところで、歴史的にもヨニングンに対して摂政を望む声が強まったのは事実だった。
それは史実では1721年のことだった。
当時、景宗を支持していた派閥は少論派であり、その対抗勢力が老論派だった。
そして、老論派の一部の高官が「殿下は病弱なのでヨニングン様に摂政をさせたらいかがでしょうか」と言い始めたのだ。
これは、景宗の譲位を促す動きに拍車をかける恐れもあった。それゆえ、少論派は激怒し、「摂政は絶対に認められない」と断固拒否した。
それなのに、当の景宗はヨニングンに理解を示し、いったんは摂政を受け入れてもいい、という態度を取った。
景宗は性格的に弱い面があり、老論派の申し出を断れないところがあった。このあたりは、彼の優柔不断な性格が出てしまった。
しかし、少論派が景宗をいさめて、摂政の話は立ち消えとなった。
すると、今度は少論派が反撃に出た。1721年12月6日、少論派の重鎮だった金一鏡(キム・イルギョン)は、「老論派の高官4人が謀反を企てている」と訴えた。これによって王宮の中が大混乱となり、証拠も出てきて、当の高官4人は罷免されて島流しになった。
さらに、少論派は攻撃に出て、老論派の謀反を次々に摘発した。最終的には、60人以上が死罪となり、老論派は壊滅的なほど衰退した。
こうなると、ヨニングンも無事ではいられなかった。彼も重い処罰の対象となったのだが、最後は弟思いの景宗がヨニングンを救い、謹慎処分で済ませてくれた。
以上が史実の出来事だが、『ヘチ 王座への道』ではそのあたりをどのように描かれるだろうか。とても興味深い。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】史実の『ヘチ』‥ヨニングンはいかに世弟(セジェ)となったのか
前へ
次へ