テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『カンテク~運命の愛~』は、まさに王妃を選ぶための儀式である「カンテク」のやり方を細かく伝えてくれている。それは大変興味深いのだが、実際の歴史でも、「カンテク」を通して国王が王妃を選ぶケースが多かったのかどうかが、とても気になった。そこで実際に調べてみると……。
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朝鮮王朝には27人の国王がいて、王妃は42人だった。この王妃はどのような経緯で国王と結婚することになったのか。
たとえば、初代の太祖(テジョ)から3代王の太宗(テジョン)までは、朝鮮王朝が建国される前にすでに結婚しているので、「カンテク」は行なっていない。
そして、4代王の世宗(セジョン)は三男でずっと世子でなかったので、「カンテク」をする必要もなかった。5代王は側室を妻に迎えているし、6代王は14歳で叔父から王位を奪われている。その叔父である7代王の世祖(セジョ)は結婚したときは国王でなかったので、やはり「カンテク」をしていない。
ようやく9代王の成宗(ソンジョン)が最初に「カンテク」で妻を迎えたようだ。
次の10代王の燕山君(ヨンサングン)も「カンテク」を使っているだろう。しかし、11代王の中宗(チュンジョン)は結婚したときには国王でなかったので、当然ながら「カンテク」とは無縁だった。
このように、順に国王の結婚の経緯を見て行くと、42人いる王妃の中で、実際に「カンテク」を通して国王(あるいは国王の世子時代)から妻として迎えられた人は、半分はいないどころか、三分の一もいないかもしれない。
それは当然かもしれない。国王と言っても、最初から世子から順当に国王になっていった人は27人の中の12人くらいしかいないのである。しかも、その人にしても「カンテク」をかならずしも使っているとはかぎらない。かくして、「カンテク」を通して王妃になった人は、むしろ少数派なのであった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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