NHKで放送されている『ヘチ 王座への道』は、主役のチョン・イルが演じている延礽君(ヨニングン)が老論派(ノロンパ)との対決姿勢を鮮明にしている。
ドラマが描いている1720年代前半は、20代王の景宗(キョンジョン)が統治していたのだが、実際に政治を動かしていたのは老論派だった。
この老論派とはどんな派閥なのだろうか。
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老論派は、もともとは西人派(ソインパ)から分裂した派閥だ。
西人派というのは、19代王・粛宗(スクチョン)の時代に仁顕(イニョン)王后や淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/『トンイ』の主人公となった女性)を支持していた。
当時、対抗していた派閥が南人派(ナミンパ)だった。
この派閥は、粛宗の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)を後押していたのだが、1701年に彼女が死罪になっていから南人派も急速に勢いが衰えた。
反対に勢力を拡大したのが西人派であった。しかし、この派閥は勢力の拡大に伴って分裂してしまった。
わかりやすく言えば、西人派の中の強硬派が老論派になり、穏健派が少論派(ソロンパ)になったのだ。
そして少論派は、粛宗の時代に世子(セジャ)だった景宗を支持していた。反対に老論派は景宗に対して厳しい目を向けていて、自分たちの政治を動かしやすいように王位争いにも口を出すようになった。
しかし、1720年に粛宗が亡くなり、景宗が予定通り即位することになったが、老論派は相変わらず景宗に対して反対意見を言うことが多かった。
こうした状況を変えようと思って延礽君は奮闘したのであり、『ヘチ』でも老論派は権力を持っているがゆえに多くの批判を受けるようになっていた。
実際に歴史をもう少し進めてみると、最終的に老論派は延礽君を支持するようになる。1724年に即位した英祖(ヨンジョ/延礽君のこと)は52年という長い間在位したが、支えたのは老論派であった。
このように、延礽君と老論派は本当に深い関係があったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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