「海上の王」と呼ばれた男とは…時代劇『海神』の主人公・張保皐の生涯

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古代の新羅(シルラ)を舞台にした『海神-HESHIN』という時代劇はスケールがとても大きいドラマだった。主役のチェ・スジョンが勇ましく主人公の張保皐(チャン・ボゴ/?~846年)を演じた。歴史的にはどんな人物だったのだろうか。

張保皐は古代に海を支配して自在に貿易を行なった人物だが、幼名は「弓福(クンボク)」だった。彼は成長してから新羅の政治に失望して、大望を抱いて唐に渡った。彼には才覚があり、唐で必死に働き出世した。

あるとき、衝撃的な光景を目にした。新羅から奴隷が連れてこられたのだ。当時、朝鮮半島の近海には海賊がたくさんいて、人をさらい、唐で人身売買を行なっていた。

【写真】『愛の不時着』ソン・イェジンが海賊船で大暴れした時代劇映画がある!!

憤った張保皐は新羅に戻ることを決意した。そこでも利権を獲得した彼は、新羅42代王の興徳王(フンドクワン)に謁見した。

張保皐は直訴した。

「奴隷にされることを防ぐために、清海(チョンヘ)鎮で海賊を取り締まらなければなりません」

こう力説した。

清海は今の莞島(ワンド)で、昔から新羅と唐を結ぶ海路の要衝だった。

ドラマ『海神』(2006 KBS All Right Reserved.)

無残な死に方

興徳王は張保皐に1万人の兵士を預けた。こうして張保皐は清海鎮で海上防衛に尽力した。おかげで新羅の民が奴隷にされることはなくなった。

さらに、張保皐は本格的に海上貿易に取り組み、「海上の王」と呼ばれるほどに大成功を果たした。

その後、新羅の王位継承問題に深入りした張保皐は、839年に自分の影響力が及ぶ45代王の神武王(シンムワン)を即位させた。さらなる大出世を果たした張保皐だが、とてつもない野望があった。

神武王が即位後7カ月で急死して息子が46代の文聖王(ムンソンワン)になったが、その妻に娘を送り込もうとしたのだ。

しかし、文聖王の側近が大反対した。そこで、文聖王はあきらめざるをえなかった。このことを恨んだ張保皐は、新羅に対してクーデターを起こそうとした。その動きを察知した文聖王は、張保皐の暗殺を計画した。

親しい人間が刺客に選ばれ、張保皐は酒席で酔ったすきに斬殺された。こうして「海上の王」と称賛された張保皐は無残な死に方で生涯を終えた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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