『海神-HESHIN-』の主人公でチェ・スジョンが演じるチャン・ボゴは、実在の人物だ。漢字で書くと張保皐(チャン・ボゴ)。劇中同様に幼名は弓福(クンボク)で、性格も勇敢で聡明だったという。
ドラマ設定のような奴隷ではなかったが、790年頃に全羅南道(チョンラナムド)の莞島(ワンド)で貧しい船頭の息子として生まれ、やがて唐(とう)に渡って軍隊に入ると名前を張保皐に変えたとされている。
そして828年に新羅(シルラ)に戻り、唐で見聞きしたことや海賊討伐を新羅42代王の興徳王(フンドクワン)に報告し、日本と唐を結ぶ要所であった清海鎮(チョンヘジン)大使に就任した。
張保皐は海賊を掃討するだけではなく、唐や日本との海上貿易にも乗り出す。日本の『続日本後記』にも、張保皐が貿易活動を活発にしていたことが記されているほどだ。ドラマの世界同様に張保皐は、“海上王”だったわけだ。
だが、『三国史記』や『三国遺事』といった歴史書では、“反逆者”として記録されている。838年、張保皐は新羅の王位を狙っていた金祐徴(キム・ウジン)と結託して反乱に参加した。
金祐徴が新羅45代の神武王(シンムワン)となると、自身も感義軍司(カムウィグンサ)という地位を得た。しかも、845年には自分の娘を新羅46代王の文聖王(ムンソンワン)と結婚させようと画策した。
権力地盤をさらに固めようとしたが、その計略が君臣たちによって反対されると、張保皐は自身の勢力を率いて新羅中央政府と争いも辞さない構えを見せる。こうした一連の流れから、張保皐は謀反を企てた反逆者とされているのだ。
そんな張保皐の最期は悲惨だった。846年に刺客の手によって暗殺されているのだ。その刺客が、劇中ではソン・イルグク演じるヨムジャンだった。
史実によると張保皐の部下だったという閻丈(ヨムジャン)は、親分を裏切って新羅中央政府に加担。張保皐を暗殺し、それによって新羅中央政府から阿干(アガン)という位を授かったといわれている。ちなみに日本の『続日本紀』にも「閻丈」は登場する。
現在、張保皐の生まれ故郷である莞島には、ドラマ撮影時に作られた2つのオープンセット場があり、観光名所となっている。毎年4月には「張保皐祭り」も行われている。
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