パク・ボゴムとキム・ユジョンが共演し、大ヒットを記録した韓国時代劇『雲が描いた月明り』。このドラマで描かれている内容は、史実ではどうなっているのか。2つを比べながら検証してみよう。
朝鮮王朝の王族でイ・ヨンと言えば、それはまさしく孝明世子(ヒョミョンセジャ)のことである。
孝明世子は、23代王・純祖(スンジョ)の長男として、1809年に生まれている。18歳のときに代理聴政(テリションジョン/摂政のこと)を行なって名君の素質を発揮したが、惜しくも1830年に21歳で早世している。
ドラマの中では、イ・ヨンの生母がすでに亡くなっていて、父親の純祖は再婚して新しい王妃を迎えていた。
しかし、イ・ヨンこと孝明世子の場合は、母親が純元(スヌォン)王后という68歳まで生きた王妃だった。
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決して短命だったわけではない。
つまり、純祖のほうが純元王后より先に亡くなっているので、純祖が新しい王妃を迎えたということはなかった。
このあたりが、ドラマと史実で一番違うところである。
イ・ヨンの生母である純元王后は、安東(アンドン)・金(キム)氏という一族を政治の中枢に就かせることに成功した王妃で、大変な実力者でもあった。特に純元王后の父親は金祖淳(キム・ジョスン)と言って、自分の娘が王妃であることを利用して政治の主導権を握った人物である。
『雲が描いた月明り』にも領議政(ヨンイジョン)としてキム・ホンという人物が出てくるが、この人物のモデルは明らかに金祖淳である。ドラマの中では、王以上に強い権力を持っていたが、金祖淳の場合も歴史的にその通りだった。その点では史実とドラマが合っていたと言えるだろう。
『雲が描いた月明り』には、イ・ヨンの結婚相手として趙萬永(チョ・マニョン)の娘が登場してくるが、彼女は実在した人物であり、イ・ヨンがまさに結婚した相手である。
純祖としては、安東・金氏の一族の力が強くなりすぎたので、対抗勢力として趙萬永を引き立てようとした。そうした思惑の中で、イ・ヨンは実際に趙萬永の娘と結婚したのである。
キム・ユジョンが演じたホン・ラオンは、女性でありながら宦官(かんがん/去勢された男性の官僚)として王宮に入っていくのだが、これは、朝鮮王朝では絶対にありえないことである。
なぜならば、内侍府(ネシブ/王族の世話係や護衛係を担った役所)の内官(ネグァン)というのは宦官が条件となっており、その点は厳しいチェックを行なわれる。ドラマのようにうまく見逃されるというわけにはいかないのだ。
さらに、ホン・ラオンは反乱を起こした洪景来(ホン・ギョンネ)の娘として登場するが、洪景来は歴史上では1811年に反乱を起こしたときに殺害されており、その点でもドラマとは描き方が違っている。
とにかく、「洪景来の乱」は当時の大事件であった。それを『雲が描いた月明り』はストーリーの中に生かしていた。
『雲が描いた月明り』は、史実の歴史とフィクションをうまく織り交ぜて作った時代劇作品である。いくつか史実の歴史と違うところがあるとはいえ、ものすごく面白いドラマなので大ヒットしたのも頷ける作品だ。
文=大地 康
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