朝鮮王朝の歴史を詳細に記した歴史書『朝鮮王朝実録』。その中で第11代王・中宗(チョンジョン)の治世を収めた『中宗実録』には、計10カ所ほど医女チャングム(長今)の名が登場する。
例えば1515年、のちの第12代王・仁宗(インジョン)となる王子の出産に立ち会っていると記述されているし、1552年には中宗の母を治療し、米と豆の褒美を授かったという記録も残されている。
当時の医女の地位は低く、脈の検査、鍼灸、産婆などの仕事が主で、宮中行事がある際には歌や踊りを覚えて宴会などで芸を披露しなければならず、別名「薬房妓生(ヤクパンキセン)」とも蔑称されていたらしい。
しかも、当時は男性優位の社会。もともと医女は女性を診察するために生まれた職業だったので、王医に抜擢されることは異例中の異例だった。
それでも時の王である中宗から「余の病状は医女が知っている」(『中宗実録』1544年10月26日)とされているのだから、チャングムがどれほど王の信頼を得ていたかがわかるだろう。
前へ
次へ