韓国では10月9日が「ハングルの日」として祝日になっている。この記念日には、民族独自の文字が生まれた歴史が宿っているのだ。その誕生秘話を見てみよう。
1392年に建国された朝鮮王朝では、正式な文字として漢字のみが用いられていた。しかし、それはあまりに不便であった。漢字は朝鮮半島の人々の柔らかくも力強い発音を正しく映し出すことが難しく、学ぶ機会に恵まれない庶民には高い壁となっていた。
この問題を憂え、深く心を痛めたのが4代王・世宗(セジョン)であった。彼は庶民が漢字を読めないことを問題視して、民族の魂を宿す独自の文字「訓民正音(フンミンジョンウム/現在のハングル)」を創り出す大事業を主導した。そして1446年、その新しい文字を天下に公布したのである。
しかし、王朝を牛耳っていた官僚たちは「漢字以外の文字を作れば文化が衰退する」と声高に反対した。彼らは、庶民には読めない漢字を自在に操ることで特権を保ち、地位を守っていたのである。
もし誰もが容易に学べる文字が生まれれば、自らの権威が揺らぐことを恐れた。さらに中国も、周辺諸国が独自の文字を持つことに反発する姿勢を見せた。
そのため世宗は、わずかな学識者を集めて密やかに創製を進めた。こうして生まれたのが訓民正音である。しかし公布後も官僚たちは漢字のみを尊び、訓民正音の普及を妨げた。
19世紀後半に入ると状況が変わった。外国勢力の干渉に苦しんだ朝鮮王朝は、自尊心を取り戻す象徴として民族独自の文字に再び光を当てた。
優れた学者たちが改良を重ね、より使いやすく整えた結果、「ハングル(偉大な文字)」という新たな名を得て、民衆の間に一気に広まった。1948年に大韓民国が誕生すると、ハングルは正式な国字として定められた。
こうして振り返ると、ハングルは王の慈しみの心から芽生え、数多の困難と反対を越えて普及した「民族の誇りそのものの文字」と言えるだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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