『暴君のシェフ』の国王イ・ホンを彷彿させる燕山君が憎悪した相手は誰か

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Netflixで超人気となっている『暴君のシェフ』では、イ・チェミンが演じる暴君イ・ホンが史実の燕山君(ヨンサングン)をイメージさせている。イ・ホンの場合は、陰謀が渦巻く王宮で母が死罪になった真相を見つけるためにわざと暴君を装っている雰囲気があるのだが、燕山君は根っからの暴君だった。その悪行の数々を見てみよう。

【写真】イ・チェミン、“暴君”役で開花する大人の色気

1494年に10代王となった燕山君。最初は真面目なフリをしていた。けれど、日が経つにつれ本性をあらわにし、奇怪な行動が目立ちはじめた。特に、妖艶な女たちと放縦に耽溺することが多くなった。それなのに、周囲の忠告は耳に入らず、逆に憤激して言動がいっそう激しくなっていった。

実際、『朝鮮王朝実』に描かれた燕山君の姿は、辛辣な筆致に彩られている。

「母親に似て嫉妬深く、心根は曲がっており、知恵の輝きもなかった。たとえ優れた教師が側にいても、物事を理解する力に欠けていた」

このように『朝鮮王朝実』で指摘された燕山君が憎悪を向けたのが、道義と名分を尊ぶ士林派の官僚たちであった。その末に起こったのが2つの“士禍(サファ)”。ちなみに“士禍”とは派閥争いや政治的陰謀によって多くの官僚・学者が犠牲になった事件の総称である。

画像=韓国tvN

陰謀が渦巻く王宮

1498年、戌午の年に起きた事件が“戌午士禍(ムオサファ)”だ。前の国王の時代に冷遇された一部の官僚の嘘を真に受けた燕山君は、口うるさい士林派を徹底的に弾圧した。

1504年の甲子の年にはさらに凄惨な“甲子士禍(カプチャサファ)”が起こった。この時は、燕山君の母であった廃妃・尹氏(ユンシ)の死罪に関わった者たちが次々に虐殺された。亡くなっていた者の場合は、墓を暴かれて首をはねられるという惨禍が繰り広げられた。

悪政はとどまることを知らず、やがて庶民も声を上げた。市中には燕山君を批判する文書が貼られ、人々の怒りが渦巻いた。燕山君はそれに逆上し、ハングルの使用を禁じてしまった。民衆の言葉を奪うというこの行為は、あまりにひどかった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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