テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『トンイ』では、8月11日の第6話で、19代王・粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)の母親・明聖(ミョンソン)大妃(演者パク・チョンス)が強烈な存在感を見せていた。
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彼女が張玉貞(チャン・オクチョン/演者イ・ソヨン)を極端に嫌っている様子もドラマで描かれていたが、それは史実と合っている話だった。
その明聖大妃はどんな女性だったのか。1642年に生まれ、9歳だった1651年に17代王・孝宗(ヒョジョン)の長男と結婚した。その長男は1659年に顕宗(ヒョンジョン)として玉座に就き、明聖大妃は17歳で王妃となった。1661年には待望の長男を出産する。この王子こそ、後の粛宗である。
1667年、長男が6歳のとき、高官たちは「世子にふさわしい」と推薦し、顕宗は吉日を選び正式に世子に冊立した。明聖大妃はその日、母としての喜びを胸いっぱいに抱き、聡明な息子が必ずや名君となると信じて疑わなかった。
1674年、顕宗が急逝し、13歳の世子が粛宗として即位した。明聖大妃は32歳で王の母となった。若くして大妃となった彼女は、次第に強い意志を前面に出すようになった。
本来、王政を論じる閣議に女性が立ち入ることは禁じられていたが、明聖大妃は息子の治世を案じるあまり、自ら会議に出席して意見を述べた。その行動は高官たちの反発を招いたが、彼女は一歩も退かず、図太い神経と揺るがぬ信念で宮廷を渡り歩いた。
やがて、その強権が最も色濃く現れたのは、粛宗の寵愛を受けた張玉貞(後の張禧嬪〔チャン・ヒビン〕)を王宮から追放したときである。野心が強かった張禧嬪の存在が、いずれは国家と王家に災いをもたらすはずだ、と見抜いたからだ。
しかし、運命はあまりにも皮肉であった。41歳で明聖大妃がこの世を去ると、粛宗は母親の忠告を守らず、張禧嬪を宮中へ呼び戻した。そして、明聖大妃の予見どおり、張禧嬪は王宮に嵐のような争いと混乱を巻き起こしたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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