【韓ドラになった歴史人】『風と雲と雨』の高宗は史実では父と妻の対立に翻弄された国王だった

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パク・シフが主演した『風と雲と雨』では、興宣大院君(フンソンデウォングン)をチョン・グァンリョルが演じていた。その興宣大院君の二男が命福(ミョンボク)であり、後の朝鮮王朝第26代王・高宗(コジョン)だ。『風と雲と雨』ではパク・サンフンが演じていた。

【関連】【『風と雲と雨』の歴史解説】哲宗が世を去って次期国王はどうなったのか

史実の高宗はどんな人生を歩んだのだろうか。

幼いころから命福はとても優秀だったので、王族の末端にいた興宣大院君は、ぜひ二男の命福を国王にしたいと狙っていた。国王の哲宗(チョルジョン)に息子がいなかったからだ。

1863年に哲宗が亡くなると、後継者争いが激しくなった。興宣大院君は素早く暗躍し、絶大な力を持っていた神貞(シンジョン)王后の推挙を勝ち取った。こうして、命福は高宗として即位することができた。

彼はまだ11歳だったので摂政が必要になる。そこで、興宣大院君が国王に代わって政治を仕切っていった。

『風と雲と雨』
『風と雲と雨』では後の高宗をパク・サンフンが演じ、チョン・グァンリョルが興宣大院君に扮していた(写真提供=© 2020 TV Chosun)

大韓帝国の初代皇帝となった国王

さらに、高宗の結婚が難題となった。名門の娘を選ぶとその実家の力が強くなりすぎるので、増長しない一家の娘が選ばれた。それが明成(ミョンソン)皇后である。とても賢い女性で、高宗より1歳上だ。

その当時、興宣大院君が絶大な権力を維持していた。こういうとき、王妃は政治に関与しないが、明成皇后は積極的に王室政治に口を出すようになった。結果的に、興宣大院君と明成皇后が対立するようになった。明成皇后は興宣大院君の反対勢力と結託して、1873年に興宣大院君を失脚させることに成功した。

父親と妻の権力闘争を傍観するしかなかった高宗だが、徐々に自分の力を発揮するようになった。しかし、欧米列強や日本の干渉が強くなり、朝鮮王朝は難しい舵取りを強いられた。

1897年、朝鮮王朝は国号を改めて大韓帝国になった。それにともなって、高宗は大韓帝国の初代皇帝に就いている。しかし、日本による植民地化に抵抗していた高宗は1907年に退位させられてしまい、王位を息子の純宗(スンジョン)が継いだ。その末に朝鮮王朝は日韓併合によって1910年に滅亡した。その後、高宗は1919年に世を去っている。

【高宗(コジョン)の人物データ】

生没年
1852年~1919年

主な登場作品()内は演じている俳優
『明成皇后』(イ・ジヌ)
『Dr.JIN』(イ・ヒョンソク)
『朝鮮ガンマン』(イ・ミヌ)
『ミスター・サンシャイン』(イ・チャニョン)
『風と雲と雨』(パク・サンフン)

文=大地 康

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