NHKの看板番組となっている大河ドラマ。今年は『べらぼう』で、江戸時代後期に出版業で華々しく活躍した蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯が描かれている。
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主演は横浜流星。彼は笑いと涙と謎に満ちた物語を痛快に演じている。同時に、渡辺謙が演じる田沼意次が仕切る江戸幕府の内情も描かれており、『べらぼう』は多層的な構成になっている。
そういう『べらぼう』の舞台になっている18世紀後半。江戸幕府と朝鮮王朝の関係はどうなっていたのだろうか。
当時は「密月」と呼べるほどに両国の関係は良かった。そもそも、江戸時代の外交は、「鎖国体制となっていて長崎で中国やオランダと限定的に貿易を行う程度」と思われがちだが、そんなことはなかった。
江戸幕府は朝鮮王朝と正式な外交関係を結んでいて、両国の交流は活発に行われていた。決して鎖国ではなかったのだ。
それは徳川家康が朝鮮王朝との外交を重視した政策を行い、代々の将軍がその意思を受け継いでいたからである。
江戸時代には、朝鮮王朝の正式な外交使節「朝鮮通信使」が12回も来日していた。このときは朝鮮王朝と江戸幕府が国書を正式に交換し、信頼関係を築いた。
それほどに両国は友好的だった。過去二千年の歴史においても、一番仲が良かった時代とも言い切ることができる。このことを絶対に忘れてはならないだろう。
なお、『べらぼう』の主人公である蔦屋重三郎の略歴を見ていると、「朝鮮王朝22代王のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)とほぼ同時代を生きていた」と思えた。
蔦屋重三郎は1750年に生まれて1797年に世を去っているが、イ・サンは1752年に生まれて1800年に亡くなっている。日本と朝鮮半島と分かれていても、両者はほぼ同じ時期に生きていた。そういう共通点があった。
思えば、18世紀後半というのはまだ欧米列強が東アジアに押し寄せてくる前であり、日本も朝鮮半島も比較的平和だった。もちろん、両国の生活環境はまったく違うが、外交的には穏やかな時代だったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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