【韓ドラになった歴史人】時代劇に登場することが少ない王・顕宗とは何者か

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朝鮮王朝27人の国王の中でも朝鮮王朝18代王・顕宗(ヒョンジョン)は特に地味な存在であり、時代劇に登場することはとても少ない。その中でイ・ビョンフン監督の演出した『馬医』においてハン・サンジンが顕宗を演じている。

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ハン・サンジンはイ・ビョンフン監督の名作『イ・サン』において洪国栄(ホン・グギョン)を熱演していた。そうした実績が評価されて、彼は『馬医』で顕宗に扮することになったのだ。

果たして史実で顕宗はどういう国王だったのだろうか。

生まれたのは1641年であり、父親は17代王・孝宗(ヒョジョン)だ。顕宗は世子だった1651年に結婚している。相手は、後の明聖(ミョンソン)王后である。彼女のほうが1歳下だった。

1659年に孝宗が亡くなったので、顕宗は18歳で国王になった。それからの在位時期には、外国からの侵略もなく、内政的には社会がわりと安定していた。いわば、平和の時代だったのである。

そのかわり、官僚たちの派閥闘争が非常に激しかった。高官たちが分裂してお互いに主導権争いを繰り広げていた。特に、西人派と南人派の争いがずっと続いてしまった。

『馬医』の顕宗
『馬医』でハン・サンジンが顕宗を演じた

主導権争いに翻弄された人生

そういう中で性格が強くなかった顕宗は派閥闘争を鎮めることができなかった。当時は官僚の力が強すぎて、むしろ王位を脅かすほどであった。そのために顕宗は主体的に政治を動かすことが難しかった。

一方、明聖王后はとても学識が高く、性格も強気一辺倒だった。それゆえ、王宮の中で感情的に動くことが多かった。実際、顕宗はかなり妻から圧力をかけられていた。

そういう事情もあり、顕宗には側室がいなかったと言われている。それは、王室ではほとんどありえないことだった。そういう意味で、顕宗は非常に珍しい国王なのである。

なお、明聖王后は4人の子供を産んでいる。男子は1人だけで、それが後の19代王・粛宗(スクチョン)だ。

顕宗は1674年に33歳の若さで世を去った。官僚たちによる主導権争いに翻弄された人生であり、精神的なストレスも死因の一つになったかもしれない。

【顕宗(ヒョンジョン)の人物データ】

生没年
1641年~1674年

主な登場作品()内は演じている俳優
『馬医』(ハン・サンジン)

文=大地 康

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