ドラマ『奇皇后』の時代設定は14世紀。当時の朝鮮半島は王建(ワン・ゴン)が建国した高麗(コリョ)王朝の時代だったが、高麗は苦しい日々を強いられていた。
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というのも、1231年にチンギス=ハーンが建国したモンゴル帝国が高麗に侵攻。のちに「元」と元号を変える北方の大国は、1231年、1235年と頻繁に攻めてきた。その度に当時の高麗の政治を動かしてきた武臣政権は抵抗し、各地でも民兵や傭兵たちが抗戦した。
ちなみに、そんな時代に作られたのが、8万枚以上に及ぶ版木から刷られた仏教経典である「高麗大蔵経(コリョテジャンギ)」。これは1236年に王都・開京を離れて江華島(カンファド)に避難した高麗第23代王・高宗(コジョン)が、元に対抗して民の心をひとつにするために制作を指示したもので、15年の歳月をかけて作られたという。
ただ、その試みも空しく、1259年に第24代王の元宗(ウォンジョン)が元に降伏。高麗の王たちは元への忠誠を示す意味で、「忠」の文字が使われるようになった。
1270年には武臣政権も崩壊。元は高麗軍の特別選抜部隊だった三別抄軍(サムビョルチョグン)の解散を命じ、反発した三別抄軍は臨時政府を作って徹底抗戦を続けるも、1273年には元と高麗軍双方から鎮圧され、ついに高麗は元の服属国に甘んじるしかなかった。
それによって高麗は、さまざまな負担を強いられることになる。王世子たちは元に人質にとられ、高麗の王族たちは元の王族たちと婚姻を交わさなければならなかった。
朝貢も強要され、1273年と1281年には、元の日本侵攻のための前線基地としての役割も負わされた。高麗は元から徹底的な内政干渉を受けなければならなかったのである。高麗にとってはまさに苦悩の時代。そんな時代に出現したのが、奇皇后だった。
文=韓ドラLIFE
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