IUとパク・ボゴムの共演で話題を集めたNetflixオリジナルシリーズ『おつかれさま』は、企画段階から業界最高の期待作だった。
【関連】「彼のような人になれたら」パク・ボゴムが語るグァンシクの“素晴らしさ”
『椿の花咲く頃』で温かな感性と筆力を認められた脚本家イム・サンチュン、そして『ミセン-未生-』『シグナル』『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』で繊細な演出が高く評価されたキム・ウォンソク監督がタッグを組んだだけに、完成度の高さも大いに期待された。
しかし、撮影中には一部で騒動も起きた。
製作費はおよそ600億ウォン(約66億円)とされ、そのスケールの大きさにかえって「過剰な期待では」と懸念する声もあった。加えて、撮影が行われた全羅北道・高敞(コチャン)の「青麦畑フェスティバル」では、市民の立ち入りを制限したことが明らかになり、「迷惑撮影だ」と厳しい批判を浴びた。
そうした期待と懸念が入り混じる中、3月7日に配信がスタートした『おつかれさま』は、わずか初回からすべての不安を払拭。没入感が高すぎるという声が相次いだ。
「ふたを開けてみれば理解できる」と言われるほど、あらゆる面で納得できる作品となっていた。
単なる恋愛ドラマではない。IU演じるエスンとパク・ボゴム演じるグァンシクの人生は、あまりにも過酷だった。
深くて暗い海に両親を奪われたエスンは、男女差別が激しかった済州島で子ども時代を召使のように過ごす。
内地に出て詩人になりたいという夢も、親を失った境遇から叶わず、唯一頼ることのできた初恋のグァンシクと夜逃げした末に結婚に至った。
姑、祖母、曾祖母と続く過酷な“嫁姑地獄”にも耐えてきたが、愛娘クムミョンが“家計の足し”として海女にされそうになり、ついに家を飛び出す。
親を海に呑まれたあの日を二度と繰り返させたくない――そんなエスンの決断の裏には、鉄のように硬く、温かいグァンシクの一途な愛があった。
グァンシクの愛は確かだが、時にその不器用さに息が詰まる。
青春真っ只中になってもまともに愛を告げられず、エスンの代わりにキャベツを売り母をむかつかせる。
そんな彼の中には「キャベツ、甘いですよ」の一言すら言えなかった文学少女への優しさがあった。
グァンシクの深い愛情を受けて育ったからか、“負けん気の強い反抗児”だったエスンも、やがて我が子に対してはグァンシクのように限りない愛情を注ぐ母となる。
ソウル大学に進学した娘のクムミョンから冷たい言葉を投げつけられても、エスンは「私の娘」と笑って迎え入れる。
だが、それもまた『おつかれさま』という作品構造の中では自然に納得できる。クムミョンの目に“貧しさの象徴”のように映った母の露店は、大人になっても育ちきれなかった兄妹を支えるための「生存の現場」だった。
親に刃を突きつけるようなクムミョンの反発も、長女として一心に受けた愛情に十分に応えられなかったという“申し訳なさ”が根底にある。
そして、その深い理解はエスンとグァンシクだけにとどまらない。
同じ海で働いた仲間・クァンレ(演者ヨム・ヘラン)の娘という理由でエスンを娘のように面倒を見る海女たち、家出や離婚がましに思えるような姑・舅、果てはかつて再婚相手候補だったプ・サンギル(演者チェ・デフン)まで、皆が理解可能なキャラクターとして描かれる。
義理と情、古い家父長制、時に理不尽な伝統。それらを「悪」として描くのではなく、「彼らもまた、上から受け継いできたものをそのまま実践しただけかもしれない」と視聴者に問いかける。本作に登場する人々は、どこかで見たことのある“隣人”そのものだ。
だからこそ、Netflixが選んだ“毎週公開”という配信スタイルは絶妙だった。
春、夏、秋、冬の四季のように、『おつかれさま』の時間は鮮やかに色を変えていく。
単純に「春=爽やか」「夏=青々しい」とは括れない。4話ごとに展開するストーリーは、それぞれがひとつの季節であり、人生の章である。
全16話が一気に公開されたとしても、イッキ見にはもったいない作品だ。もちろん最後まで観る前に、きっと涙で画面がかすむだろうが。
「毎回が涙の海だ」という感想は、作品の公開中ずっと聞かれた。
視聴者レビューには「目が腫れた」という声も多い。感情を過剰に引き出す涙の演出は、韓国ドラマにおいては決して褒め言葉ではなかった。しかし『おつかれさま』の涙は違う。
男と女、老いと若さ、既得権と少数者、豊かさと貧しさ――分断と嫌悪が渦巻く時代に、本作は“理解”という感情を荒波のように観る者の胸に押し寄せる。そうして流れた涙こそが、真の“感動”なのだ。
親を想い、子を想い、それでもなお愛を貫いたエスンとグァンシク。
そんな“良い人たち”は、意外と身近にいる。我々が気づけなかったのは、自分の人生で精一杯だったからだ。
たとえ家族でなくとも、誰もが誰かを大切に想いながら生きている。
『おつかれさま』が描いた人生は、1960年代にも2025年にも、田舎や都会を選ばず、どこにでもあるのかもしれない。
(記事提供=OSEN)
■【関連】パク・ボゴム、役作りで5キロ増量…“出番の少なさ”については「承知の上」
前へ
次へ