最近の韓国ドラマではハッピーエンドが多くなってきた。それを望む視聴者が一定数いるのは確かだが、長く韓国ドラマを見てくると、「成就できない愛」こそが名作ドラマの結末にふさわしい、という流れがあった。
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ハッピーエンドは確かに視聴者の幸福願望を満足させるのだが、「究極の愛」の余韻に長く浸れるのは、やはり「運命的な別れ」であるかもしれない。
現実では、願った愛を得られないのが世の常である。それでも、あきらめない。自分が好きなら、どんなことをしてでも絶対に相手の愛を得ようとする。そうした執着心が強い人をどんどん登場させるのが韓国ドラマの定石だった。それゆえ、必然的に熾烈な三角関係が描かれることが多かった。
そういう三角関係を乗り越えて愛を勝ち取っても、その愛が成就するとはかぎらない。どんなに愛し合っても別れなければならない愛もあるのだ。
歴史的に韓国では、朝鮮戦争や民主化弾圧といった悲劇が繰り返し起こった。その歴史の中で、愛し合いながら別れざるをえなかった恋愛が無数にあった。その記憶が生々しく残り、純粋に愛し合っている恋人同士だけでは愛が成就できない、という諦観のような考え方が生まれた。
経済発展を遂げた今でも、愛にはさまざまな障害がふりかかる。それは、家族の反対であったり、身分や貧富の格差だったり、将来に対する人生観の対立であったり、事故やアクシデントだったり……それを反映して韓国ドラマでは「どんなに愛し合っていても運命は2人を引き離そうとする」というストーリーが多い。
まさに、『二十五、二十一』がそうだった。キム・テリが演じたナ・ヒドとナム・ジュヒョクが扮したペク・イジン。2人はあれほど愛しあいながら、ペク・イジンがニューヨーク駐在中に起こった「3・11」の影響で別れざるをえなくなる。しかし、ドラマとしては余韻の残る最高級のエンディングとなった。
あの「別れ」のシーンを何度でも見たくなる。ハッピーエンドにはない珠玉の情緒があった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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