時代劇というのは現代劇に比べると、所作やセリフの言い回しで難しい面がある。それでも、時代劇で主役を演じる俳優は巧みに往時の言動を再現していく。たとえば、『100日の郎君様』を見ているときも、時代劇らしい臨場感を満喫することができて、主役のド・ギョンスに拍手を送りたい気持ちだった。
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彼はEXOのD.O.として知られているK-POPのスターだが、俳優としても素晴らしい表現力を持っている。そんな彼は『100日の郎君様』で最初に世子(セジャ)として登場する。
名前はイ・ユル。幼い頃に初恋の人と悲劇的な別れを経験した。そういうトラウマにより心を深く閉ざし、周囲を不機嫌な言動で惑わせ続けていた。その際の演技は、しばしば一本調子になりがちだが、ド・ギョンスは本当に器用に演じ分けていた。
同じ不機嫌さの中にも多彩な変化を織り交ぜ、心の内を複雑に描き出していたのだ。特に、最も憎むべき悪徳高官の娘だった世子嬪(セジャビン)に対しては、ゾッとするような冷たさを前面に出していた。
そうしたド・ギョンスの演技が、突如として一転する瞬間が訪れる。それは、世子が暗殺されそうになり、村人のウォンドゥクとして新たな人生を歩み始めたからである。この段階で、ド・ギョンスはイ・ユルとは一線を画す。もっと具体的に言えば、とぼけた演技を随所に披露していくのだ。
ウォンドゥクは、元王族でありながら村人としての生活を余儀なくされるが、働くことを一切せず、不必要に高価な品を購入し、妻であるホンシム(ナム・ジヒョン)の怒りをしばしば買ってしまう。それでも懲りない。このあたりの飄々とした雰囲気がド・ギョンスは本当にうまかった。だからこそ、『100日の郎君様』は緊迫した展開の中でクスッと笑えるユニークさが際立っていたのだ。
こうした演技においてド・ギョンスは、イ・ユルの複雑な内面を絶妙な表情で描き出している。幼少期のトラウマから生じる深い心の傷、そして、異なる面を見せるウォンドゥクとしての生活。これらはド・ギョンスがいかに多面的な演技を見せられるかを端的に示していた。
最終的に、ド・ギョンスの斬新で自由奔放な表現スタイルは、観る者を深く引き込み、物語の奥深さを一層際立たせていたのであった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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