『王になった男』の都承旨にソックリな実在した人物がいた!!

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韓国時代劇ドラマ『王になった男』。テレビ東京の韓流プレミアでも絶賛放映中の同作は、2012年に韓国で大ヒットした映画をドラマとしてリメイクしたものだ。

『王になった男』は朝鮮王朝の第15代王・光海君(クァンヘグン)の時代をモチーフにしており、イ・ビョンホンが主演した映画版の原題も『光海(クァンヘ)、王になった男』だったが、その王様の側近を務める都承旨(トスンジ)にもモデルにしたであろう歴史的人物がいる。

ホ・ギュン(許筠)である。キム・サンギョン演じるドラマ版ではイ・ギュと名付けられた都承旨だが、リュ・スンリョン演じた映画版の都承旨の名はホ・ギュンとなっているのだ。

【関連】都承旨=トスンジ、左議政=チャウィジョンとは?『王になった男』の官職をわかりやすく解説!!

では、ホ・ギュンとはどんな人物だったのか。

(写真=tvN『王になった男』ポスター)

一言でいうと、朝鮮王朝の文臣だ。

1569年に生まれ、1594年に科挙の文科に首席で合格して文臣となった。1606年には従事官(チョンサガン)として中国・明からやって来た使臣たちの対応を任され、彼らの前で名文書を披露して名声を轟かせたという。1610年には明に派遣もされている。

ただ、要職に就く度に、さまざまな濡れ衣を着せられて解職されたり、幽閉されたりもした。それでも1617年には廃母論を唱え、時の王だった光海君を支持した大北派(テブクパ)の一員として王の信任も得て、左参賛(チャチャムチャン)にもなった。

だが、その過程で廃母論反対派との確執も深まり、1618年に政敵の陰謀にハメられてしまう。謀反を起こそうとしたとして捕まり、最後は処刑されているのだ。非業の最後を迎えねばならなかったのだ。

その最期はともかく、光海君と同じ時代に生き、明の使臣との対応を任され、王の信任を得て重臣になっているのだから、ドラマや映画の都承旨そのものではないだろうか。

それに許筠は単なる使臣ではなく、小説家であり思想家でもあった。

代表作は『洪吉童(ホン・ギルトン)伝』。洪吉童は朝鮮3大義賊の1人で実在の人物とされているが、許筠はその洪吉童を題材にした小説を執筆した人物として知られている。

古典小説『洪吉童伝』は単なる勧善懲悪の英雄伝のような作品でもあるが、実はその根底には当時の社会制度への矛盾と批判が込められており、身分の違いだけで貧しい暮らしをさせられる間違った世の中を正そうとする、彼の思いか込められたと言われている。

ちなみにそんな許筠の人生を描いたドラマが『ホ・ギュン~朝鮮王朝を揺るがした男~』である。チェ・ジェソンが主人公の許筠を演じ、当時の政治情勢やそれに起因する民衆たちの困窮ぶりなどが描かれた、正統派時代劇だ。

また、許筠がなぜ、小説『洪吉童伝』を書くに至ったのか、そこにどんな思いが込められたのかという点にもスポットを当てているのも面白い。

いずれにしても『王になった男』は完全なるフィクションではなく、史実や実在した人物のことも取り入れているからこそ、リアリティでドラマチックな作品に仕上がったわけだ。

構成=韓ドラ時代劇.com編集部

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