テレビ東京の韓流プレミアでも放送されているドラマ『王になった男』。
もともとはイ・ビョンホン主演の映画で韓国でも1200万人の観客を動員する大ヒットとなった。
光海君は暴君か、それとも名君だったのか。このミステリーに挑んだのが『王になった男』であるが、作品は何もまったくの脚色ではなく、埋もれていた史料をヒントにしている。
それが歴史書『朝鮮王朝実録』内の光海君8年(1616年)2月28日に記載されている一文である。
【写真】「朝鮮王朝実録」に書かれているチャングムに関する記述とは?
「可諱之事 勿出朝報」。映画の冒頭で登場するこの言葉を意訳すると、「隠さなければならないことは朝報に出すな」となる。
朝報とは王命などを記した『承政院(スンジョンウォン)日記』のこと。
承政院は朝鮮王朝時代の官庁のひとつで、王の命を官吏に伝えたり、官吏の仕事ぶりを王に報告する業務を担当する。現代で言えば大統領秘書室のようなものだ。
その承政院の長が都承旨(トスンジ)が大統領秘書室長だとすれば、承旨(スンジ)は首席秘書官のような役職となる。
そして、その『承政院日記』にも、光海君の行動が記されていない“空白の15日間”があるのだ。
映画はこの15日間を拡大解釈。「光海君はふたりではなかったか」という斬新なアプローチ方法で、光海君を描いた。
暴君の顔を持つ光海君と名君に匹敵する政策を打ち出した光海君。果たしてどちらが真実の光海君なのか。映画やドラマを観ながら、想像を巡らせたい。
文=慎 武宏
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