『暴君のシェフ』で国王イ・ホン(演者イ・チェミン)に大きな影響力を及ぼしていたインジュ大王大妃(演者ソ・イスク)。この人物のモデルになっていたのが、朝鮮王朝第9代王・成宗(ソンジョン)の母親だった仁粋(インス)大妃である。
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彼女は、成宗が1469年に12歳で即位したとき、摂政をすることができなかった。大王大妃(テワンテビ/国王の祖母)の貞熹(チョンヒ)王后が健在だったからだ。
しかし、貞熹王后は学がなくて文字が読めなかった。そこで指南役になったのが仁粋大妃である。彼女は漢字が読めるし、中国の古典に精通して学問を積んでいた。
当時の朝鮮王朝には、女性に学問を受けさせる風潮があまりなかった。しかし、仁粋大妃はその常識を打ち破る別格の存在であった。そのうえで、朝廷を揺るがすほどの強靭な影響力を持つに至ったのである。
成宗が成長して親政を始めた後も、王の母である仁粋大妃の存在感は揺るぎなかった。彼女は学識に優れていただけでなく、政治そのものに深い関心を抱いていた。
当時の朝鮮王朝は、儒教を国の根幹とし、仏教を冷酷に弾圧する政策を続けていたが、意外なことに王族の女性たちの多くは密かに仏法を敬っていた。仁粋大妃もまた熱心な仏教徒であり、その信仰は深かった。
しかし、成宗の側近たちはさらなる仏教迫害を推し進めようとした。その時、毅然と立ち上がったのが仁粋大妃である。彼女は烈火のごとく怒りをあらわにし、成宗に強く訴えた。
その迫力に押された成宗は母の意志を受け入れ、ついに官僚たちに対して仏教迫害をやめさせた。こうして仁粋大妃は信念を貫き、見事に勝利を収めたのであった。
仁粋大妃は朝廷においても、ずっと光り輝く存在であった。しかし、その生涯の終幕は悲劇的であった。孫である10代王・燕山君(ヨンサングン)が暴君と化し、祖母として彼を激しく叱責すると、逆に暴行を受け、命を奪われてしまった。その最期はあまりに悲惨なものだった。
こうした人生を送った仁粋大妃。彼女は『暴君のシェフ』のインジュ大王大妃として、ドラマの上で甦ったのかもしれない。
文=大地 康
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