善徳女王の父親だった真平王は意外と名君だった?

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人気時代劇『善徳女王』でイ・ヨウォンが演じているヒロインの善徳(ソンドク)女王の父親が、新羅(シルラ)の26代王の真平王(チンピョンワン)である。ドラマの中では、真平王の青年時代をペク・ジョンミンが演じ、中年時代をチョ・ミンギが扮していた。

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女王誕生のきっかけを作った真平王は、どのような国王だったのだろうか。歴史書『三国史記』を元にして人物像をさぐってみよう。

6世紀、新羅を強国に導いた大王の真興王(チヌンワン)の長男の息子が真平王だ。彼は579年に即位している。妻は麻耶(マヤ)夫人である。

真平王は子供の頃から身体が大きかった。同時に、聡明で自分の意見を明確に持っていた。国王になってから、民衆の生活向上に努力し、日照りが続いたときは熱心にお祈りをした。そして、自らの食事を減らして、贅沢を戒めた。それだけではなく、民衆の生活ぶりを細かく観察して、現状を把握しようと努めた。

また、中国大陸との関係を重視していた。真平王が統治しているとき、中国では「隋」が大陸を支配していたが、「隋」に盛んに朝貢して関係強化をはかった。小国として大国には絶対に逆らわない。それこそが、新羅が生き残る道だった。「隋」が滅んで「唐」が中国を統治すると、以前と同じように朝貢を続けた。

『善徳女王』の真平王
真平王を演じたのはペク・ジョンミン(左)とチョ・ミンギ(写真=(C)MBC)

戦術に優れた国王

また、当時の新羅は高句麗(コグリョ)と激しく領土争いを繰り広げていたが、603年に高句麗の軍勢が新羅の領土に侵入したときは、真平王が自ら1万人の兵を率いて高句麗軍を撃退している。このように、真平王は戦術にも優れた国王であった。

また、仏教を重んじて、僧をよく中国に派遣している。後に新羅で仏教が盛んになったが、真平王の働きも大きかった。

亡くなったのは632年である。彼には息子がいなかったので、王女が王位を継いで善徳女王となった。結局、真平王の在位期間は53年間にわたっていた。半世紀を超えるほど国王であり続けた真平王は、新羅の国力を上げるために大いに貢献している。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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