【重大事件セレクション】毒殺疑惑で命を落とした国王の名前は?

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518年間続いた朝鮮王朝の史実を見ても、「毒殺によって命を落とした」とウワサされた国王が3人いる。いまだに論議のマトになっている「疑惑の三大国王毒殺事件」には、どのような背景があったのか。当時の状況を振り返ってみよう。

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●5代王・文宗(ムンジョン)

「最高の名君」と称された世宗(セジョン)の長男だった文宗は父親譲りの才能を持っていたが、1450年に即位してわずか2年3か月で急死した。疑われたのが、弟の首陽大君(スヤンデグン/世宗の二男)だ。彼は王位に異様に執着したので、兄を毒殺しても不思議ではなかった。

結局、彼は文宗の後を継いだ甥の端宗(タンジョウ)から王位を強奪して、7代王・世祖(セジョ)として即位した。本当に、非道な人間であった。

●20代王・景宗(キョンジョン)

張禧嬪(チャン・ヒビン)から生まれたこの国王は、わずか4年の在位で1724年に急死してしまった。その直後に、異母弟の英祖(ヨンジョ)が兄を毒殺したと宮中でウワサになった。なにしろ、英祖は主治医の反対を押し切って異母兄に食べ合わせの悪い食事を勧めていたのだ。

さらには、疑惑解明を求める反乱が各地で起きている。国王になりたかった英祖には十分すぎるほどの動機があった。疑惑が深まる一方だったが、王位に就いた英祖が必死に毒殺説を握りつぶしている。

『赤い袖先』の正祖
『赤い袖先』ではジュノ(2PM)が正祖を演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

●22代王・正祖(チョンジョ)

イ・サンという本名でよく知られる正祖は、1800年に政治改革に熱意を持って新しい政策を発表したが、その直後に高熱を発して亡くなった。あまりに急だったので毒殺疑惑が生じ、貞純(チョンスン)王后が疑われた。

彼女には、老論派という派閥の勢力維持のために正祖を殺害したいという動機があった。実際、正祖が亡くなったあと、貞純王后は実権を握り、正祖が進めていた改革をすべてつぶしてしまった。そのやり方はあまりに露骨だった。「貞純王后が正祖を毒殺した」という疑惑は、今に至るまで根強く残っている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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