大河ドラマ『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』では中盤になって芳遠(バンウォン)が1398年にクーデターを起こして、政権を掌握した。李成桂(イ・ソンゲ)の八男であった世子の芳碩(バンソク)は殺されてしまい、新しい世子には李成桂の二男の芳果(バングァ)が冊封された。
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このときドラマでは、李成桂が芳遠の挙兵に激怒して、芳果を無理に世子にして、さらに国王まで昇格させていた。すべて李成桂が芳遠を国王にさせないための策略だったのだ。それを芳果も受け入れていた。彼にしてみれば、最大限の親孝行のつもりだった。
これに対して芳遠は露骨に反感を感じていて、芳果との対立が深刻になっていた。両者の間には極度の緊張感が漂っていたのだ。
しかし、芳果が即位する流れというのはドラマと史実で違っている。
歴史的な事実で言えば、芳果は王位に就く気持ちが最初から全くなかった。世子になる際でも「芳遠の功績が大きく、どうして私が世子になれましょうか」と謙遜していて、とにかく世子になることを拒んでいたのだ。
しかし、芳遠があまりに勧めるので仕方なく世子になり、そして、李成桂が退位したことに伴って国王に就いたのである。それが2代王の定宗(チョンジョン)だ。
思いがけなく国王になった芳果であるが、権力が完全に芳遠のものになっていることを承知しており、自ら主体的な政治を行うつもりもなかった。わかりやすく言えば、芳遠の指図によってあらゆる政治が決定されていたのである。そういう意味では「お飾りの国王」と言わざるを得ない。
ただし、『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』での描き方は違う。父親の孝行に応えるために、芳果が国王を立派にやり遂げようという姿勢を見せており、芳遠と極度な対立構造になってしまっていた。このあたりの事情がドラマと歴史では大きく違っているが、『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』では、チュ・サンウクが演じる芳遠の逆襲が今後の展開を大きく左右していくことだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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