テレビ東京の韓流プレミアで4月30日に放送された『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』の第18話では、李芳遠(イ・バンウォン)がついに1398年に政権を転覆させて、完全に王朝の権力を掌握した。その際には、兄弟同士の争いが深刻だった。それを整理するためにも、李成桂(イ・ソンゲ)の息子たちが1398年にどうなったかを明らかにしていこう。
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改めて李成桂の息子たちを見てみよう。第一夫人の韓氏(ハンシ)が産んだ息子は6人であり、長男の芳雨(バンウ)、二男の芳果(バングァ)、三男の芳毅(バンイ)、四男の芳幹(バンガン)、五男の芳遠(バンウォン)、六男の芳衍(バンヨン)となっている。
次に、李成桂の第二夫人の康氏(カンシ)が産んだのは七男の芳蕃(バンボン)、八男の芳碩(バンソク)だった。
政変を起こしたのは『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』でチュ・サンウクが演じる芳遠であり、このときは31歳となっていた。彼に殺されたのは世子の芳碩で、まだ16歳だった。母親の康氏が生きていれば、そんなことにならなかったのだが、2年前に世を去っていたので仕方がなかった。また、芳蕃も芳碩と同時に絶命している。
こうして世子が廃されたので、韓氏が産んだ息子たちが候補になった。すでに芳雨が1393年に亡くなっていたので、芳果が一番の年長ということで世子に推挙された。本来なら芳遠が適任者だったのだが、彼は一歩下がって、兄を立てたのである。これは名分を守る上でも効果があった。
一方、芳遠と激しく対立したのが兄の芳幹であった。ドラマの中で2人は当初から激しく口論を繰り返していた。同じ兄弟同士でも相性が悪かったのだ。
この芳幹は芳遠より歳が3つ上で、野心がとても大きかった。いずれ自分も王位にめざして挙兵する運命を持っていた、と言える。今後の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は芳遠と芳幹の対立が物語の主軸になっていくだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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