朝鮮王朝は身分制度が苛烈で、女性にとっては生きづらい時期も多かった。そんな抑圧された制度の中で、際立った美しさによって厳しい時代を駆け抜けた5人の女性たちを取り上げてみよう。彼女たちの人生は歴史の中でも着実に残り、現代になってからドラマなどで大々的にその人物像が描かれている。
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●神徳(シンドク)王后
朝鮮王朝を華々しく建国した初代王・太祖(テジョ)の二番目の妻。朝鮮王朝が誕生した1392年に最初の王妃となった。太祖が熱烈に愛したほどの絶世の美女であったとされ、芳蕃(バンボン)と芳碩(バンソク)という、二人の息子を慈しみながら育てた。
そのうち、わずか10歳だった芳碩を世子(セジャ)にするという大願を成し遂げたが、1396年に40歳で亡くなった。彼女は死ぬ間際まで息子の芳碩の将来を深く案じていたが、その心配は2年後に現実となった。芳碩は異母兄によって世子の座から引きずり下ろされて、惨めにも殺害された。
●敬恵(キョンヘ)王女
父は5代王・文宗(ムンジョン)であり、弟が6代王・端宗(タンジョン)だ。その美しさは、「朝鮮王朝でもっとも美しかった王女」との賞賛を受けるほどであった。とにかく、「伝説的な美女」であったことは間違いない。しかし、運命は過酷だった。
端宗が叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われて死罪に処された後、彼女は奴婢(ぬひ)になった。それでも、世祖は最後に彼女を許した。1473年に38歳でこの世を去った。
●黄真伊(ファン・ジニ)
彼女の生没年は明確になっていない。16世紀の前半に生きた才女であった。10代の頃からその美貌が広く知られ、彼女を慕った男性が感情的に亡くなってしまうという悲劇さえも起こっている。後に妓生(キセン)となった彼女は詩歌における才能をいかんなく発揮した。
その作品は韓国の教科書に掲載されるほどの名声を博している。時代劇『ファン・ジニ』のモデルとしてもよく知られており、同ドラマでハ・ジウォンが黄真伊を演じていた。
●張禧嬪(チャン・ヒビン)
当初は1680年に王宮に入った女官であったが、19代王・粛宗(スクチョン)から深い愛情を受け、やがて側室へと昇り詰めた。1688年に王子を出産し、一時は王妃にまで昇格したが、後に側室への降格処分となった。
1701年に王妃に呪詛(じゅそ)をしたことが発覚して自決させられた。朝鮮王朝でも強烈な悪役キャラでありながら、その美貌は『朝鮮王朝実録』においてもたびたび絶賛されていた。
●淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)
時代劇『トンイ』のモデルとしてあまりにも有名になった美女である。ハン・ヒョジュが明るく素直に淑嬪・崔氏を演じていたが、実在の本人は王宮の裏に隠れて政治的な動きをしていたと伝えられている。
もともと彼女は19代王・粛宗の側室であり、宮中で下働きをしていた際に粛宗に見初められた。張禧嬪とライバル関係にあり、1694年に王子を産んでいる。その息子が後の21代王・英祖(ヨンジョ)である。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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