【『赤い袖先』が描いた世界】「禁断の宮殿」で愛と義務に生きる女官たちの裏側とは?

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朝鮮王朝時代、王宮の女官の生活は厳格な掟に縛られていた。彼女たちは幼い頃に王宮に入り、成人までの長い年月を通じて各種の技能を身につける。そして、成人後はそれぞれの分野……例えば料理や衣服、洗濯、刺繍などの部門に分かれて、専門的な業務を担当した。

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女官たちは原則として「国王と結婚した」と見なされており、男性との関係は厳しく禁じられていた。もし違反が発覚すれば、その罪は極刑になってしまう。このように、女官は極めて厳しい状況の中で我が身を律して生きていた。

彼女たちは一生を王宮で過ごし、結婚もしなかった。また、病気や老齢になると、王宮から出されてしまった。

しかし、その一方で、国王に気に入られた女官は側室になることができた。朝鮮王朝時代の前期では、国王が10人前後の側室を持つことが一般的で、女官から側室になる女性も少なくなかった。しかし、朝鮮王朝時代の後期になると、儒教の道徳観が厳格になり、国王も多くの側室を持つことが少なくなった。

なお、朝鮮王朝の女官や側室には、身分に応じた品階が与えられていた。側室は正一品から従四品までの品階を持ち、側室以外の女官の最高位は正五品となる。正五品の女官は「尚宮(サングン)」と称され、実際に働く女官の中で最高位の地位であった。なお、各品階には専用の称号があり、それぞれ異なる役割と責任を担っていた。

画像=MBC

視聴者の心を引きつける要素

実際、女官たちは常に自分の地位や役割を意識することを求められていた。しかし、同時にそれは国王や宮廷に対する忠誠と奉仕の意識を高め、朝鮮王朝の王宮が持つ厳格な秩序を維持する役割を果たしていた。女官たちは、その秩序の中で自身の地位を高めるために奮闘していた。

それは、韓国時代劇が描写した通りである。特にイ・ジュノが主演した『赤い袖先』では、王宮で奉職していた女官たちの実態が克明に描かれていて興味深かった。

彼女たちの生活は、現代とは大きく異なる社会の姿を如実に示しており、その厳格さと華やかさが視聴者の心を引きつける要素の一つとなっている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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