王妃は今で言えば国のファーストレディで、朝鮮王朝時代には「国母(クンモ)」と呼ばれて大変な尊敬を受けていた。ただし、当時は儒教思想が生活の隅々まで浸透した男尊女卑の時代であった。それだけに王宮の中でも男性が絶対的な権力を持っており、王妃といえども朝鮮王朝の政治を仕切る高官たちに歯向かうことはできなかった。
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たとえば、11代王・中宗(チュンジョン)の妻であった端敬(タンギョン)王后は王妃になってからすぐに高官たちの強制的な横やりによって廃妃にさせられてしまった。そういう前例があるだけに、王妃としてものんびりしているわけにはいられない。自分でも権力を持たなければならないのだ。
そういう王妃の権力の源になったのが、自分の息子が世子(セジャ)になるということだ。もし側室が産んだ王子が世子になったら、王妃の存在感は薄くなる。それゆえ、王妃は必死だった。
そんな王妃にとって、自分の息子が世子からやがて国王になるというプロセスが最高の形だった。王妃は大妃(テビ)になれるからだ。
大妃になると朝鮮王朝の王族女性の最長老として権力をふるえる。実際、朝鮮半島全体を支配する国王といえども、儒教社会の中の「長幼の序」を考えると、自分の母親に逆らうことは道義的にできない。そういう意味で、大妃は一番の権力を握っていたと言えるかもしれない。
『シュルプ』というドラマは、キム・ヘスが演じる王妃とキム・ヘスクが演じる大妃の争いが激しく描かれていた。このドラマを見ていると王妃といえども落ち度があるといつでも廃妃になってしまうことがよくわかる。しかし、大妃は廃妃にはされない。そういう権力構造が王宮の中にある以上、王妃は大妃に対して常に警戒を怠らなかった。
その苦労は並大抵ではない。それゆえ、王妃は常に「息子を世子にすること」「高官を味方につけること」「大妃には表向きだけ服従する」ということを肝に銘じた。それは、『シュルプ』でもよく出てきた王妃の賢い処世術であった。
文=大地 康
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