朝鮮王朝の518年間に27人の国王がいたが、通常は国王のまま命を終えた人が圧倒的に多い。しかし、中には退位を余儀なくされた国王もいる。
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そんな国王は、退位後にどれだけ生きたのだろうか。
最初に短かった国王を挙げてみると、退位後にすぐ絶命したのが燕山君(ヨンサングン)である。彼は1506年9月にクーデターで王宮を追放されて廃位となったが、島流しとなった後の11月に命を終えている。廃位からわずか2カ月だった。一応、病死と言われているが、毒殺されたという噂も絶えなかった。
一方、退位してから長く生きた国王をランキング方式で選ぶと、次のような結果になった。
〔退位した後も長く生きた国王〕
(国王) (退位後の生存年)
1位 2代王・定宗 19年
2位 15代王・光海君 18年
3位 27代王・純宗 16年
4位 26代王・高宗 12年
5位 初代王・太祖 10年
退位後の人生が一番長かったのが2代王・定宗(チョンジョン)だ。
彼は1398年に即位したが、実質的に権力を握っていたのは弟の李芳遠(イ・バンウォン)だった。定宗もそのことを誰よりもわかっていた。そのため、定宗は「操り人形」に甘んじながら国王になっていたのだが、李芳遠が自ら王位に就く決心を固めたので、定宗はわずか2年で王位を弟に譲って隠居した。そして、1400年に李芳遠が太宗(テジョン)として即位したのである。
退位した定宗は、その後19年間も生きた。自由気ままに暮らしたので、彼もさぞかし幸せだったことだろう。
それに比べたら、15代王・光海君(クァンヘグン)は定宗と対照的な晩年を過ごした。彼は1623年にクーデターを起こされて廃位となり、王宮から追放された。最終的に光海君が配流されたのは済州島(チェジュド)であった。
当時の済州島は極悪人が島流しにされる島。そこで屈辱に耐えながら過ごした光海君は、都に戻れるという希望を持って生きたが、ついに済州島からは出られなかった。
1641年、廃位にされてから18年が経った光海君は失意のまま66歳で世を去った。本当に寂しい晩年だった、と言わざるを得ない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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