【歴史コラム】『赤い袖先』のソン・ドギムの人生。実際にはどんな女性だったのか

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王女は2カ月足らずの命だった。直後に、王子が正式に世子となり、文孝(ムニョ)世子と呼ばれた。まだ2歳にもなっていなかったので異例の冊封であったが、それはイ・サンの希望が強く働いたものだった。彼はソン・ドギムとの間に生まれた息子を早く世子にして安心したかったのだ。

しかし、文孝世子は1786年5月に早世してしまった。

ソン・ドギムは、絶望的に悲しんだ。彼女は妊娠していたのだが、極度に衰弱し、主治医も処方ができない状況となった。その末に、1786年9月14日に命を終えた。

ドラマ『赤い袖先』より(写真提供=NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)
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イ・サンは言葉を失い、愛する人の早すぎる死を痛切に悼んだ。

享年は33歳。『赤い袖先』が描いたように、ソン・ドギムは最後まで国王イ・サンに愛された「究極の女性」であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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『赤い袖先』でイ・セヨンが演じた宜嬪・成氏は世子の母としてどう生きたのか

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