時代劇『赤い袖先』が韓国で大人気となって、イ・ジュノが演じたイ・サン(正祖)に対する歴史的な関心も韓国で高まった。なんといってもイ・サンは朝鮮王朝後期の名君。今でも尊敬される偉人なのである。
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そんなイ・サンが国王になったのは1776年で24歳のときだった。
彼の父親は1762年に米びつの中で餓死している思悼世子(サドセジャ)だ。
無念の死を遂げた父親を弔(とむら)うためにも、イ・サンは思悼世子を陥れた対抗勢力に復讐を誓った。
こうして、彼は「粛清の嵐」を予感させて、かつて思悼世子の敵であった人物たちを次々に処罰した。その中には、亡き父の妹や母の叔父もいた。この事実を見ても、思悼世子の身内には敵対勢力が多かったのである。
それなのに、イ・サンがどうしても処罰できなかったのが祖母であった。血のつながりはない。なぜなら、その祖母は、尊敬すべき祖父・英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻だった貞純(チョンスン)王后なのである。
彼女は、英祖の最初の正室だった貞聖(チョンソン)王后が亡くなったあとに祖父が迎えた後妻だった。なんと、英祖より51歳も若かった。
さらに言うと、貞純王后は思悼世子を追い詰めた黒幕の一人で、イ・サンからすれば「許せない悪女」であった。
もちろん、イ・サンとしても父の怨みを晴らしたかった。
しかし、簡単にはいかない。なにしろ、「孝」を大事にする儒教社会では祖母をむやみに処罰できない。もし王になってすぐにそんなことをしたら、一気に人望を失ってしまう。
イ・サンも本当に悩んだが、結局は処罰しなかった。それが儒教社会の限界であった。
けれど、貞聖王后を見逃したことが最後は命取りになってしまった。
1800年にイ・サンは急死してしまうのだが、「貞純王后に毒殺された」という噂が王宮の中で流れた。彼女がかなり怪しい動きをしていたのは確かで、歴史的にも「イ・サンは貞純王后に殺された」という話が残っている。
実際、貞純王后は平気で国王を毒殺してしまうような悪女であった。彼女は、1805年に60歳で世を去ったが、今でも韓国では「イ・サンを毒殺した悪女」として記憶されている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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