NHK・BSプレミアムで毎週日曜日に放送されている『七日の王妃』は、終盤に近付いてくるとイ・ドンゴンが演じる燕山君(ヨンサングン)がどんどん残虐になっていった。
【写真】『七日の王妃』でイ・ドンゴンは燕山君の憎悪をどう演じたのか
ついに暴君の本性があらわになってきたのだ。
ドラマは、燕山君が行なう酷い悪政から目が離せなくなるが、彼はもともと国王にまったくふさわしくない人間だった。
そのことは、朝鮮王朝の歴史を大変詳しく記した『朝鮮王朝実録』でも記載されている。その部分をここに再現してみよう。特に、
燕山君の少年時代について述べたところに注目したい。
「尹氏(ユンシ/燕山君の母)が廃妃になったとき、王はまだ幼かったが、育つにつれ、父王(成宗〔ソンジョン〕)は彼が母と死に別れたことを気の毒に思った。また、嫡男であったために、世子に決めることにした。ところが、母親に似て嫉妬深くひねくれた性格だっただけでなく、知恵深い人間でもなかった。父王は当時の優秀な人々を選んで世子の教育係にして彼を正しく導くようにした。そうやって、王はしばらく師匠のそばにいながら成長していったが、文理(事物の理り)に通じることができなかった」
このように、『朝鮮王朝実録』は燕山君の少年時代について厳しく記している。その記述はますます辛辣(しんらつ)になっていく。
「ある日、父王が試しに実務を担当させてみたが、うまくできなかった。父王はこれを見て叱った。『考えてみなさい。お前はどのような存在か。どうして他の王子たちと一緒に遊んでばかりいるのか。勉学にまったく力を入れず、愚かなのはなぜなのか』。このように厳しく言ったので、王は父王に会うのを避けた。呼ばれても体が痛いと言い訳をして、行かないことがしばしばだった。そして、父王が大事なことをやらせようとしても、またもや病気だと偽って何度催促しても結局は出てこなかった。父王が側近を送って様子を見させたところ、やはり病気ではなかった。しかし、世子は『病気じゃなかったと告げ口したら、お前を殺してやる』と言った。側近は怖くなり帰って病気だったと話した。父王は心中を察し、悪く思わずそれ以上はやめておいた。このことから世子を廃したいという気持ちが強まったが、他の嫡子がいなかったし、世子は拠り所がなくて哀れだと思い、必要以上に追及しなかった。その後、父王が崩御すると、王は喪中にありながらも悲しむ素振りも見せなかった」
実際、『朝鮮王朝実録』が記しているように、燕山君は国王にふさわしくない人間だった。そんな彼が国王になってしまったことが朝鮮王朝の悲劇であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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