パク・ミニョンが端敬(タンギョン)王后を演じている『七日の王妃』で、後に中宗(チュンジョン)になる晋城大君(チンソンデグン)に扮しているのがヨン・ウジンだ。彼は凛々しい姿で晋城大君を演じていて、燕山君(ヨンサングン)に扮するイ・ドンゴンと華麗な演技対決を繰り広げている。
実際、『七日の王妃』を見ていると、本名のイ・ヨクで呼ばれている晋城大君は、異母兄の燕山君にいじめられてばかりいる。史実では、晋城大君はどういう人物なのだろうか。
彼の父は、9代王の成宗(ソンジョン)だ。その成宗の二番目の妻が尹氏(ユンシ)だったが、奇怪な行動ばかり起こして廃妃(ペビ)になってしまった。彼女は燕山君の実母なのだが、1482年に死罪となっている。
その尹氏の次に成宗の妻となったのが貞顕(チョンヒョン)王后であり、王子の晋城大君が1488年に生まれている。
晋城大君は燕山君より12歳下だった。世継ぎ問題では長男と二男は決定的に違う。燕山君は幼いときから世子になり、次の国王が約束されていた。一方、晋城大君は王位継承問題からはずされ、政治から離れて暮らさなければならなかった。
1494年、成宗が世を去り、燕山君が王位を継いで10代王となった。以後、世子も燕山君の長男が受け継ぎ、晋城大君が即位する可能性はなかった。
その後、晋城大君は1499年に慎氏(シンシ/後の端敬王后)と結婚し、王宮の外で質素に暮らした。
普通なら、そのまま夫婦は平凡に暮らすはずだったのだが、1506年に燕山君がクーデターで王宮を追われて廃位となり、世子も同時に廃されてしまった。
そして、クーデターを成功された高官たちが新しい国王として指名したのが晋城大君だった。
彼にとっては青天の霹靂(へきれき)であったことだろう。当初、晋城大君は「兄の代わりに国王はできない」と強硬に辞退したが、最後は説得されて即位を受けざるをえなかった。
それが良かったのかどうか。晋城大君は国王の中宗になったが、政治的に主導権を発揮することはできなかった。後世からも「凡庸な国王」と呼ばれてしまった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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