ドラマ『七日の王妃』は、歴史上に起こった大事件をストーリーの重要部分に置いている。それは、イ・ドンゴンが扮する燕山君(ヨンサングン)が1506年に王宮から追放されたクーデター事件なのだが、それが起こる前から朝鮮王朝では官僚の虐殺事件がひんぱんに生じていて世の中が騒然となっていた。
そうした最中に、ヒロインの端敬(タンギョン)王后は晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)と結婚した。
この婚姻を仕切ったのが、高官の慎守勤(シン・スグン)であった。
この人物は、燕山君を語る際に絶対にはずせない。なぜなら、暴政を行なった燕山君の一番の側近であったからだ。
何よりも、燕山君の妻は慎守勤の妹だった。このようにして王室と親戚関係になった慎守勤は、さらに自分の地位を盤石にするために、娘を晋城大君の妻に送り込んだ。それは、1499年のことだ。当時、端敬王后は12歳であり、晋城大君は11歳だった。
その結果、慎守勤の権勢は絶大なものとなった。王室に妹と娘を送り込んだ成果が実を結んだのである。
しかし、本来なら慎守勤は自重しなければならなかった。少なくとも、燕山君が死罪になった母の恨みを「虐殺」という形で晴らすのを防ぐべきだった。そうすれば、燕山君は廃位になるほど官僚から恨みを買うことはなかった。
それなのに、慎守勤は燕山君の暴虐を防ぐこともせず、むしろ、あおりたてた。そういう意味で、慎守勤は万死に値するような側近だった。結局、娘の端敬王后の運命も悲劇的な局面に誘導してしまった。
過去、王室と戦略結婚を進めた高官の運命は、哀れな結末を招いたものがほとんどだった。それは歴史が証明しており、慎守勤もその例にもれなかった。
なぜなら、燕山君が廃位になったとき、クーデター軍は反対勢力の急先鋒であった慎守勤を真っ先に殺しているからだ。
これから『七日の王妃』を見るときは、慎守勤の描き方に注目しておこう。彼こそは、娘を悲劇に陥れた張本人であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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