朝鮮王朝には518年間に27人の国王がいたが、後世の歴史家が見て「最悪の3人」と思える国王を順に解説していこう。
【写真】『不滅の恋人』のチュ・サンウク、今度は剛腕の王になる!
まずは、7代王の世祖(セジョ/1417~1468年)を取り上げよう。
王子のときは首陽大君(スヤンデグン)と呼ばれた。4代王・世宗(セジョン)の二男で、兄の文宗(ムンジョン)が5代王になった時点で王位を引き継ぐのは無理だったのに、文宗の長男が6代王の端宗(タンジョン)になると、野心をたぎらせて強引に王座を奪ってしまった。
以後、端宗を復位させようとした忠臣たち(死六臣と呼ばれた)を残虐に処刑して、端宗すらも死罪にするという非道を繰り返した。実務的な能力があったが、人間としては最低だった。
ちなみに、時代劇『不滅の恋人』ではチュ・サンウクが世祖を演じていた。
次に挙げるのは燕山君(ヨンサングン/1476~1506年)だ。
父は9代王・成宗(ソンジョン)で、母は朝鮮王朝で最初に廃妃になった尹氏(ユンシ)である。
幼いころから粗暴な性格で、王位に就いてからは側室の張緑水(チャン・ノクス)と共に酒池肉林に明け暮れ、国家財政を破綻させた。残虐に家臣を惨殺した例も多く、恨みを持った家臣たちによってクーデターを起こされて、1506年に廃位となって流罪先で絶命した。
今では暴君の代名詞になっている。
最後に取り上げるのは仁祖(インジョ/1595~1649年)である。
王子時代は綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれたが、弟を殺されたことで光海君(クァンヘグン)を憎み、1623年にクーデターを成功させて16代王となった。
即位後は失政続きで、1637年には間違った外交を繰り返した末に清に完全に屈服し、皇帝の前で土下座をして謝罪した。まさに王朝最大の屈辱だった。
これだけでも「情けない国王」として嘲笑されるのに、ひどい悪女を側室にして長男の昭顕(ソヒョン)世子を毒殺するという愚行もしでかしている。
本当に「救いようがない国王」であった。
以上が「国王になっては絶対にいけなかった3人」であり、彼らは今に至るまで歴史の暗部として蔑(さげす)まれている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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