【離縁された王妃4人】国王や高官に嫌われた王妃たちの行く末はいかに?

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朝鮮王朝の王妃は「国母」と言われて尊敬を集めるが、決して安泰ではない。518年間に合計で42人の王妃がいたが、国王が王位を失った影響で廃妃になった人が3人いた。

それは6代王・端宗(タンジョン)の妻の定順(チョンスン)王后、暴君・燕山君(ヨンサングン)の妻であった慎氏(シンシ)、15代王・光海君(クァンヘグン)の妻だった柳氏(ユシ)である。彼女たちは廃位となった夫のとばっちりを受けてしまったのだ。

それは不幸なことだが、逆に、国王や高官に嫌われてしまって王妃の座から降ろされた女性も4人いた。それはいったい誰だったのか。

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最初は9代王の成宗(ソンジョン)の正室だった斉献(チェホン)王后である。彼女はトラブルを多く起こしている。成宗が寵愛していた側室を呪詛(じゅそ)したり、恐れ多くも成宗の顔を引っ掻いてしまったり……そんな悪行によって国王から離縁され、しまいには死罪になった。このように、不祥事で身を崩したのである。

ドラマ『七日の王妃』ではパク・ミニョンが端敬王后を演じた(写真=KBS『七日の王妃』韓国ポスター) 

粛宗が招いた廃妃騒動

2人目は中宗(チュンジョン)の正室だった端敬(タンギョン)王后だ。

彼女はとても中宗に愛されていた。しかし、身内に問題があった。父が追放された燕山君の側近であったし、叔母が燕山君の正室だった。結局、燕山君を廃位に追い込んだ高官たちの強い要請で端敬王后は廃妃になってしまった。このように、彼女は高官たちに嫌われてしまったのが不運であった。

3人目は19代王・粛宗(スクチョン)の正室だった仁顕(イニョン)王后である。彼女には何の落ち度もなかったが、粛宗が寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にしたくて仁顕王后を離縁したのであった。

そうやって空いた王妃の座に張禧嬪がおさまった。しかし、因果はめぐる。今度は王妃だった張禧嬪が粛宗に嫌われて側室に転落した。そして、仁顕王后が王妃として復帰したのであった。

すべて粛宗の気まぐれが招いた廃妃騒動であった。その結果、仁顕王后と張禧嬪は王妃という座をめぐって振り回され続けた。彼女たちは粛宗が起こした騒動の被害者であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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