ドラマ『大王の夢』の主人公である武烈王こと金春秋(キム・チュンチュ)は、実在の人物だ。
父親は新羅の第25代王・真智王(チンジワン)の息子で、母は第26代王・真平王(チンピョンワン)の長女であった天明(チョンミョン)姫とされ、654年に生まれたとされている。まさに王の直系貴族だったわけだ。
金春秋が生きた時代、新羅は百済に盛んに攻められていた。642年には金春秋が保守していた大耶城(デヤソン)が陥落し、金春秋の長女も殺害されてしまう。
そんな国の窮地を救おうと金春秋は高句麗に同盟を持ちかけ、『日本書記』によると647年には倭国(現在の日本)にも訪れている。翌648年には唐に赴き、同盟を成立させた。
まさにその外交手腕で、第26代王の善徳女王(ソンドクヨワン)やその後続である第27代王・真徳女王(チンドクヨワン)を支えた人物だった。
真徳女王がこの世を去ったことで自ら王位に就いた金春秋は、唐との友好関係維持が新羅の発展につながるとして、660年に“羅唐(ラダン)連合軍”を結成。総司令官に金庾信(キム・ユシン)を任命すると、その年に唐とともに百済に攻撃をしかけ、百済を滅亡させた。
さらに翌661年には唐と連合して高句麗制圧に着手。が、軍を北上させる途上で病に倒れ、同年6月に病死してしまう。このとき、武烈王の諡と太宗の廟号を贈られた。唐の皇帝である高宗も、彼の死を悼んで唐の首都・洛陽の城門で葬儀を行ったといわれている。
ただ、その遺志は息子の法敏(ポンミン)と盟友であった将軍・金庾信によって受け継がれる。新羅は唐と連合して668年に高句麗を滅ぼし、倭国の水軍と百済の残党たちと戦った663年の“白村江の戦い”も制すると、671年には高句麗や百済の領土を支配下にしていた唐と戦争を開始。
“羅唐(ラダン)戦争”と呼ばれるそれは5年以上も続いたが、676年に新羅が唐勢力を撃退して停戦したことで、朝鮮半島は新羅が治めることになる。まさに金春秋の野望であった三国統一が成し遂げられたのだった。
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