テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『ホジュン~伝説の心医~』では、7月25日の第63話で、ホ・ジュン(演者キム・ジュヒョク)が政治闘争に巻き込まれる様子が描かれていた。特に、世子(セジャ)となっている光海君(クァンヘグン)の動向がクローズアップされていた。そこで、彼の人物像を歴史的に見てみよう。
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光海君は1575年にこの世に生を受けた。父は14代王・宣祖(ソンジョ)である。
この宣祖は、王朝の歴史で初めて側室から生まれた国王であった。それゆえ、彼の心にはいつも静かな劣等感の影が差していた。だからこそ、宣祖は「自分の後継者はぜひとも正室から生まれた王子にしたい」と、切なる願いを抱いていた。しかし、正室である懿仁(ウィイン)王后は子宝に恵まれなかった。
やがて、側室から生まれた王子たちが後継候補に挙がることとなった。長男は豪放で強気な気質を持つ臨海君(イメグン)、そして次男は沈着冷静な気風の光海君である。
本来であれば、王位継承は長男が順当とされる。しかし、1592年に起こった戦乱が2人の王子の運命を劇的に分けることとなった。
臨海君は、混乱の中で加藤清正の軍に囚われ、和平交渉の駒として扱われる屈辱を受ける。その心の傷は深く、解放後は酒に溺れるようになってしまった。一方、光海君は地方に身を置きながら義兵を組織して数々の戦功を挙げていった。
戦火の中で、2人の王子の間には決定的な差が生まれた。ついに、宣祖は光海君を世子に指名する。若き王子は聡明で、学びを重ね、静かに王位への歩みを進めていった。
その道に再び影が落ちる。1600年、懿仁王后が世を去り、宣祖は新たに仁穆(インモク)王后を正室に迎える。1606年、彼女は国王の待ち望んでいた嫡子の永昌大君(ヨンチャンデグン)を出産する。宣祖は歓喜し、内心では世子を光海君から永昌大君へと変える意志を秘めるようになった。
しかし、時は無情である。1608年に宣祖は世を去ってしまった。わずか2歳の永昌大君が即位することはできず、王位は予定通り光海君へと引き継がれることになった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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