今でも高い人気を保っているドラマ『トンイ』。ハン・ヒョジュが演じた主人公のトンイは、史実では淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)と呼ばれた。彼女は粛宗(スクチョン)の側室であったが、慕っていた仁顕(イニョン)王后が亡くなったとき、自ら名乗り出て「張禧嬪(チャン・ヒビン)がひそかに王妃様に呪詛(じゅそ)をかけていました」と告発した。
それによって大々的な取り調べが行なわれ、女官の証言によって張禧嬪は有罪となってしまった。『トンイ』ではイ・ソヨンが張禧嬪を演じていたが、チ・ジニが扮した粛宗が結局は張禧嬪に死罪を命じていた。
当時、粛宗の長男であった世子(セジャ)は13歳になっていた。彼は張禧嬪が産んでいるので、もしも彼女が死罪になったら、将来の国王が確実視されている王子の母が罪人になってしまう。こうなると、世子が廃されてしまう事態も十分に予測された。
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それは、産みの母親の張禧嬪としては絶対に避けたいことだった。
それゆえ、張禧嬪は我が子への面会を懇願し、世子にはなんの罪がないことを必死にアピールしようとしていた。
また、高官たちの間でも同情論が増え、「世子の母親をこのまま死罪にしてしまえば、朝鮮王朝の歴史に汚点を残すことになります」という意見が大勢を占めるようになった。実際、多くの高官が粛宗に対して「死罪はなりません」と反対意見を述べた。
そのときの対応が正式な歴史書であった「朝鮮王朝実録」に克明に記録されている。
それによると、粛宗は次のように述べて高官たちを牽制している。
「余も君たちの意見をよく知っている。反対意見が多いこともわかっているのだ。それでも、あえて死罪を命じたのは、あくまでも世子のためなのだ。世子を守るためには、彼女を死罪にしなければならないのだ。余の苦しい心の内を察してくれ」
何度もこう言って、粛宗は張禧嬪に命じた死罪を変えることはしないと明言した。それも世子を守るためだ、ということを理由にしていた。
粛宗としては、これ以上張禧嬪を生かしておくと、やがて世子に悪影響が及んで彼を廃しなければならなくなる。そんな事態になることを憂慮していたのだ。
そこで、粛宗はどんな反対があっても、結局は張禧嬪の死罪を強行した。それは1701年の10月のことだった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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